ledcannon’s diary

美作古書店

自分と××

写真と写真機のブログにしようと思いながらも、自分とは何かを一度は証明して於いた方が良いのでは、と人生の節目にて思い立ち書き記そうと思った。

今此処で、こうして書き物をする事は実は久々である。

写真を本格的に始めてから、文章を書く事に対して一歩引いていたからである。

1979年12月31日生まれの富山県富山市育ちで、住民票を富山から外した事はない。但し、生活の拠点を一時期東京に置いていた事はある。

子供の頃から創作が好きで、絵や工作を其れなりに嗜んでいた。尤も、今となっては何かを創り出す時間を捻出出来ず、写真という自分の中ではお手軽な創作活動の場へと踏み込んだ次第である。

自分は兎に角、人と違う視点、人と違う思考の果てに生み出される事物に惹かれる性質があり、一般的に人気のある作品に興味を持てない人間である。

漫画で言えばドラゴンボールやワンピースに興味のない人間だ。凄いとは思うが、其れだけなのだ。ただ凄いだけで、興味の範疇に入らない。学生時代の美術の時間に心惹かれた作家はサルバドール・ダリだから、ダヴィンチやゴッホの良さなんてわからない。マネとかモネなんかもどんな絵を描いているかなんて思い出せないレベルで知識レベルが低いのだ。でも、火焔土器とか遮光器土偶のデザインに敬意を抱いてしまうような変人なのだ。マヤ文字も非常に心揺さぶられるし、ヒエログラフも非常に完成度の高い芸術性を持っていると感じるのだ。

中世の教会のデザインが素晴らしいと思う隣で、日本の神社や寺の造形が素晴らしいと思ったり、自分の事ながら、何を言いたいのかをまとめきれないところが悔しい。

芸術は勿論、学術としての方向性もあるし、其れが現代では正当だと思うわけだが、宗教芸術は、其処に念というか、誰かの意志の名残を感じられるのでとても共感出来るのだ。無論、其の宗教を信仰するわけではないが、其れをどんな想いを込めて作り上げたのかを想像すると、ワクワクしてくるのだ。

子供の頃はそんな事を考えもせず、自分から溢れ出してくる創作意欲を画用紙や粘土やブロックに込めて、何かを創り出していた。自分が良いと思うもの。自分の良いと思ったものを具現化させ、現実に召喚する。其れが子供の頃の自分の創作活動だった。

物心がつき、小学校二年生くらいから漫画を描き始めた。一般的な漫画ではなく、四コマ漫画が延々と連続するような、コマ割りなんてモノを無視した漫画を描いていた。友人と見せ合ったり、自分で愉しむ為に。

この頃に自分の為の創作活動という、自分が尤も愛するスタイルが確立した。逆に自分は一生掛けてもプロになれないという呪いをも背負った。このスタイルは変えるつもりもなければ、自分の創作はただ自分と自分に近しい人に捧げるモノだという意志を捻じ曲げるつもりもない。自分は狭い世界の中で生きる事を望んだし、其れ以上は望まないと誓ったのだ。

中学に入ると、自分の絵柄が自分の理想とする絵柄とかけ離れていて、其のギャップを埋める事は出来ないと理解した。誰かの模倣ではない自分自身の絵は生み出せないと分かったのだ。

今でも画用紙にボールペンで絵を描く事はあるが、其の程度しか描く事は出来ない。漫画家のように、同人作家のように、漫画を完成させる事は自分には出来ないのだ。コマ割りが出来ないし、パースも取れない。

だから、文章を書くという方向に創作スタイルを変えた。絵では表せない行間に物語を仕込む事が自分の性質に合っていると気付いた、という事もある。

其処からはずっと文章で自分の創りたい世界を創造しては、ひっそりとネットの海へと其の毒を流し続けた。いつしか社会人になって、同人作家のサークルに参加していた。

自分自身の性質として長編を好むのだが、其のサークルはショートショートでの作品発表がメインだった。だから、ショートショートの限界値を測る事から始めた。

一般的に改行をする文章を改行せず一文にしてみたり。漢字を多用して文字数を稼いだり。そうそう、片仮名を一切使わずに一つの物語を書き上げたり。そういう縛りプレイで物語を紡ぎ続けた。此れは妻にしか、いや、妻にも理解されていない。読者を置いてきぼりにしているとか、散々な事を言われた。

でも、自分にとっての創作は、其れで良いのだ。自分が何を書いたのかを忘れた時に読み返して、なんて面白い小説なんだ!と感動出来れば其れで良いのだ。設定、登場人物の名前、折々の場面。様々なところに謎々を散りばめて。そんなある意味パズルのような小説を書くのが好きなのだ。ただ、結婚し、子供が生まれ、そういったパズルを創作する時間が取れなくなった。いつしか、文章を書く事を放棄してしまった。

創作を手放してしまった。

其れでも、何かを創りたいという葛藤は自分の中にあって。行き着いた先が写真だった。まともにまともなカメラを持って写真を取り始めたのは2017年。つまり、今年だ。

其れまでは、適当なコンデジや携帯電話の付属カメラ、果てはゲーム機のカメラ機能。そんなモノを用いて、スナップをやってきた。

携帯電話のカメラ機能が付いたのは何時だったか思い出せないが、少なくとも、今年iPhoneがXをリリースするくらいなので10年以上はクソみたいなスペックのカメラで、方々で見かけるプロ写真家の写真に近づけるように無駄な努力をしてきたのだ。

無駄な努力。自分の創作に対して何時も思う事。其れは無駄な努力。使えない道具で何処まで突き詰められるか。小説だったら、なんでそんな無駄な設定を入れ込んで、最後まで物語を走らせるのか、とか。

一言で言えばこだわり。自分がそうしたいから。其れだけ。ただ、其れが重要で、其れを辞めてしまったら創作する意味がない。誰もやらないから自分がやる。自分が其れを求めているから、其れをやるんだ。

写真もそう。デジタル全盛の時代にデジタルを否定する。最新型が最高スペックなのを知っていて、敢えて古いデジカメを使って自分の表現をする。自分にとっての写真は追憶なのだ。記録でも記憶でもない。日々消化していく時間の中で、其の写真を見た時に其の時の自分の気持ちやその場の雰囲気、匂いや温度、そんなモノを自分に「取り戻させてくれるような」写真を撮りたいし、撮っているつもりだ。

だから、上手い下手なんて正直どうでも良いし、他人の写真の上手い下手もどうでも良い。其処に撮影者の意志が込められているかどうかが自分にとって重要なんだ。

其の写真を見た時に、溢れ出てくるものがあるかどうか。其の写真から感情が溢れているかどうか、そういったところを見るんだ。

いや、其れ、そんな思いで撮ってないしって言われる事もあるかもしれないけど。其れでも自分の追憶に引っかかる写真だったら、其れは良い写真なんだよ。

多くの人に理解されない、賞賛されない、そんな写真でも良い。むしろ、そんな写真が良いんだ。

そして、其れを撮ろうと思う時に、自分にはフィルムカメラとCCD素子のデジカメが必要だったし、マニュアルフォーカスのレンズが必要だったわけ。

オートフォーカスの概念が分かっていなかった去年まではシャッターが切れずに悔しい思いを何度もした。どんな状態の写真でも良いから、撮りたい時ってあるじゃない。其れが撮れないって、本当に苦痛だった。真っ黒でも真っ白でも、其処に写真やデータがあれば、其れは追憶なのだ。

追憶を拾い集めて、そのうち何処かで文章とともに発表しよう。自分のために。