ledcannon’s diary

美作古書店

自分と創作

創作する事を覚えたのは何時の事だったか、今はもうはっきりと覚えていない。

覚えていないのも当然かもしれない。

物心つく以前から、自分は創作を行なっていたらしいから。

プライヴェートな砂場を持ち、其処で山を作ったり、穴を掘ったり。竹串や紙を使った工作。ブロックで様々なものを作ったり、粘土を捏ねて物体を創造したり。

勿論、絵を描いたり、漫画を描いたりもしていた。

絵だけを書く事は飽きが来てしまうので、漫画を描く事に没頭した。小学生の低学年から中学校に上がるまでに描いた漫画はノート50冊程度。未だに自分の部屋の押入にぶち込んである。

絵を描く事に限界を感じて、文字の世界に逃げ込んだ。コレは昨年迄続く半生以上のライフワークとなった。

下の娘が生まれ、物語を書く時間が取れなくなり、写真を本格的に始める迄は、このブログの様に長ったらしい文章と小難しい表現を使った実体験に即した小説擬きを書き綴っていた。

何せ、中学校に入ってから38歳になるまでやって来た事だから、25年は文章を書いていた事になる。無論、素人の落書だけれども。物語の創作は小学校2年の時から(空想という意味では其れこそ物心つく前から色んな設定を作って其れに合わせてブロックでロボットや基地を作っていたのだからもう、生まれてから殆どの時間を創作に費やしているとも言えるか)なので、在る意味創作は自分のライフワークとも言える。

自分のスタイルは現実に即して、其れを物語でトレスする事だ。非現実的な事を現実で引き起こして、其れを漫画化、文章化する事が自分の作風だ。

其の為に、色んな罵りを受けて生きて来たけれども、慣れてしまった。

別段、罵り如きでは人は死なないし、死ぬ気になれば相手を殺せるもの。此の死という概念についても色々と考えた。一般的な肉体的な死、社会的な死、少し前から法が整備されて認識される様になった精神的な死。自分は割と社会的な死と精神的な死を好んでいた。

精神的に追い詰められ、肉体的な死を引き起こした同僚の為に会社を相手取って遣り合った事もある。其の会社を離れた後に刑事さんが訪ねて来た時は正直、本当に朝を狙って警察ってくるんだなぁという実体験を得られたので、良い経験になった。

無論、自分には何の罪もなく逆恨みだった訳で(と言うか、法的に刑事にも民事にもならない方法で相手を社会的死に追いやったので)何の実害もなく、ただ、其の時の遣り方をブログに起こしていたので、其れは犯罪に繋がるからブログを消せと言われただけで終わった。

自分の人生は創作に捧げている。故に創作出来る、自分が想像できるほぼ全ての最悪な事象に対応すべく、常日頃から法学を学んだり、身体を鍛えたり、罠の仕掛け方を覚えたり、効率よく人間の行動を制限する方法を学んだりしている。

いざという時に生き残る為には其れくらいしなければいけないし、自分が死んでしまったら創作出来なくなるわけで、当然の事だと自分は考えている。

其の所為か、一般的に受ける事には全くと言っていい程興味がわかない。想定の範疇にある事象は興味がないと言うか。

例えば流行に興味がない。此れは流行は誰かが生み出すモノであり、其れに乗ったところで流行遅れだからだ。源流ではなく支流に入ったところで何か面白い事があるだろうか。然も、メディア等の利権が絡む事が殆どで、利権絡みの事象は刹那的でつまらない。

王道も正直、好きではない。其れをすれば受けるなんて、面白いか。他人が通ったあとの道を歩く事は楽だろうけれども、何にもない平坦な道だ。其処に何があると言うのか。蛇道こそ面白いのに。

元々が物書きなので、文章が長くなるわ横道に逸れるわ、文字数を削る為に漢字を多用するから真っ黒なブログになるわで、碌でもない自分で在るが、自分の創作とは蛇道であると言う事が前提である。

其処で。

カメラを始めました。

使ってる機材は入門機やコンデジフィルムカメラも少々といったところ。現代の本流からは見事に外れている。高級機で高価なレンズと言うのは自分の創作する意義から外れるわけで、然も当然か。

そもそも、其れなりの機材を購入してみたものの、出てくる写真は綺麗だが面白味がないなぁと成ってしまったわけ。捻くれ者だからね、自分。

そんなこんなで、入門機にオールドレンズ付けてモノクロ写真を撮ってる。其れは自分の子供の成長記録を取るつもりで始めた事なのだが、写真からストーリーを作る要素に目覚めて、作品作りがメインに成りつつある。

言葉の通じない相手を写真におさめるのは毎度苦労するが、行動を予測し、ある程度の誘導をすれば、割と狙った写真が撮れるものだ。

携帯電話のカメラ機能で散々自然物や動物なんぞを撮りまくって来た経験も在るのだろうが、スナップに属するであろう自分の作品は自分好みで良い感じに撮れている。

自分の創作物は自分の為に作っているのだから、他人に評価なんてどうでも良い。此れは本心。ただ、世の中には好事家が居て、自分の作品が好きだとか言う人もいる。

まぁ、自分と好みの合う人の為に、此れからも写真と言う創作活動を行なっていこうと思う。