ledcannon’s diary

美作古書店

自分と撮影

自分が初めて写真を撮ったのは、母のカメラでだったと記憶している。どこのメーカーだったか覚えていないがフルオートのコンパクトカメラだった。当時小学2、3年だったはずなので、遅いカメラデビューだ。

それから携帯電話にカメラ機能が搭載されるまで撮った記憶が無いので、ブランクは10年くらいあったのではなかろうか。

携帯電話にカメラ機能が付いてからは色々と撮った。大学時代から社会人になっても機能制限があり小さな画像素子のそれで撮っていた。

それが携帯電話であったり、NINTENDOのDSシリーズであったり、又はWebカメラを使っての自分撮りであったり、色んなものを使って撮影していた。

自分の絵作りの根源はそもそも絵を描く事の簡略化なので、構図はそれなりに考えて撮っていた。露出だとか、シャッタースピードなんて言葉はつい昨年知ったばかりの素人である。

単純に自分の撮りたい絵をどうやったら作れるのか試行錯誤して、なんとかかんとか満足のいく絵を作ってきたことになる。

故に、一眼レフだとかコンデジをマトモに使って思うのはとても楽であるという事。

一眼レフが特に楽で、ボケを意のままに作れるし、フレアも意図的に入れこめる。なんて楽なんだと今は思っている。

ショット数も1、2枚撮ればもう自分が欲しかった絵が作れるので、携帯電話でパシャパシャしてた頃の自分に教えてやりたいものである。

室内の撮影も、携帯電話だとAFが遅いしSSも遅くなって手ブレをよくしていた。それも現代の一眼レフでは殆ど煩わされる事なく絵が作れる。とても幸せな事である。

妻に貰ったD40も一昨年、本格的に使い始めるまでは「使えないカメラ」だった。

AFに頼っていた事が一番の間違いなんだけど、自分のカメラの起源はフルオートなので仕方ないだろう。そういうものだと思って使っていた。自分にとっての大枚を叩いて単焦点のMFレンズを購入し、そこから撮影の概念が覆った。

オートに頼らなければ、例えマトモな絵でなくてもシャッターが切れる。コレは自分にとっての革命だった。

AFが迷ってピントが合わない、シャッタースピードのせいでブレる、そもそもシャッターが切れないという致命的な状態から脱却できたのだから。

そこから紆余曲折あって、現在はフィルムカメラを愛用するに至った。

このブログは自分語りがメインなんだが、元々TVゲーマーの自分はプレイステーションのゲーム大革命の時より高画質(?)化していくゲームに本質を見失っていく気がしていた。

リアリティの追求により、「ゲームがゲームである事の定義」が崩れていくように感じられたのだ。実際、色々なビッグタイトルがムービーの様なCGを駆使してゲームの本質からズレた、キメラな作品を世に送り出し、それが定着し、自分はゲームから遠ざかってしまった。

写真にも同じ事が言えると考えている。画像素子を巨大化させ、処理能力を上げて精密な、とても綺麗な絵を吐き出す機械(カメラ)が巷に溢れ出してきた。果たして、それは素直に喜んで良い事なのだろうか。

売れる製品に淘汰されて、売れない製品はメーカーごと消えていく。ここに多様性の喪失を考える人がどれほどいるのだろうか。

コンピュータの界隈も同じ事が起きた。マザーボード、グラフィックボード、メモリ、HDD、オーディオボード、メーカーは片手で数えられる様になった。つまらない自作市場だ。

カメラも今ではCanonSonyPanasonicFujifilmPentaxOlympus、Casio、Nikon。どれだけのメーカーがなくなったのか。淘汰の終わった世界は面白味に欠ける。地球の歴史に例えるなら、カンブリア紀の終わりのようなそんな感じ。

各社の味付けとされる画像素子のチューニングがまた、とても味気なく感じる。プログラムによる製作者側の撮り手へのクラッキングとでもいうのか。それをRaw現像という蜘蛛の糸のような逃げ道を消費者に垂らして誤魔化している。現代のカメラ事情は自分にはそう見えるのだ。

だから、自分は機械式のフィルムカメラを手に取った。ピントも絞りもシャッタースピードも巻き上げも全てマニュアルのカメラを。自分と世界との衝突に他者の意思が介在し難いものを。そうする事で、自分と世界との微細なズレが見出せると思うから。

情報量が出来るだけ少ない(けれども操作は煩雑だが)道具は、それこそ自分自身をRawの状態で世界と対峙させてくれる。

自分にとっての撮影は自分が見た世界の切り取りだ。そこに誰かの意思や意図は要らない。