櫻ノ海
-壱章-
覚醒-ネムルモノ-
三枝 俊也篇
第壱話
皆川と愉快な仲間たち。
≪不幸なんてものは自分から抱きかかえるよりも先に、向こうから歩いてくるものだ≫
僕が何をしたと言うのだ、まったく。
シャワーを浴び、部屋に戻ると妹の真夜が仁王立ちで僕を待ち構えていた。その形相に、思わず持っていたコーヒー牛乳のビンを落としそうになったわけだが、何とかこらえた。
「どうしたの?」真夜の行動の原因を探るべく、当たり障りのない質問を投げかけてみた。
「『どうしたの?』じゃないでしょ、おにいちゃん!」ビシッと効果音が付くくらいのリアクションで真夜は僕を指差した。
「いあ、冗談抜きで何をそんなに怒っているのかがわからない」僕はアメリカ人張りに頭(かぶり)を振って、リアクションしてみた。
しかし、真夜がこんな風に怒り爆発モードになっていると手の付けようが無いって言うことは百も承知だ。こういう時はただ時と状況に我が身を委ねなければいけないってことだ。
「あのねぇ、皆川ってヒトからのメール見ちゃったのよ」にっこりと笑顔で真夜は皆川からのメールの件を俺に話す。
「あのねぇ。勝手に人のプライバシーを侵害するなと」少しマジになって妹に抗議の声を上げる。
「仕方ないじゃない、PC付けっ放しで、しかもメールが展開されてたんだもん」…をい『ごめんなさい』の一言も無いのか?
一体どういう躾をされてきたんだろう。我が妹ながらその傍若無人な振る舞いに呆れて言葉が出なかった。
僕はがっくりと肩を落とし、真夜を見上げる。威風堂々と腕を組み、『私が正義です』と言うオーラをその背にしっかりと燃え上がらせていた。
「それでね、おにいちゃんの代わりに『行く』ってメール送っておいたから」にっこりと満面の笑み、むしろ『行く』って送ってあげたんだからありがたいと思いなさい思いなさいと言わんばかりの表情をしている。
ああ、何でこいつは…なんで、満面の笑みなんだろうか?
思考が一時停止する、それから冷静になり「ちょっ…。まて、皆川に関わるとろくな事にならないと言うのに」と抗議の声を上げたのだ。
「皆川さんってどんな人なの?」僕の抗議の声は虚しくも、真夜を取り巻くバリヤーに絡め取られた。何故か皆川と言う人名だけはバリヤーで弾き落とされずに真夜の耳に届いたようだ。興味を持つのは良いが責任は取らんぞ…。
「どんな人間かと言われると表現し辛いが、去年あいつに巻き込まれた話をしてやろう」
皆川に纏わる話。
あるよく晴れた、秋の日の事だった。
唐突に皆川から電話が掛かってきて、いつものように飯を食いに行くことになる。暇だったので快諾したのが大きな間違いだった。
婦中町のとある居酒屋で僕は刺身定食、皆川はロースカツ定食を食べた後、「暇だなー」と、皆川が山を見て呟いた。
空は青く晴れ渡っていたし、確かに暇ではあった。
ただ、僕はいつもの如く前日から睡眠を取っておらず、帰って眠りたいと言う切実な本心があった。
「暇だし、少しドライブにでも行くか」魔の一言。
いつもいつも、この一言から僕の悪夢は始まる。
「いや、俺帰って眠りたい」
「大丈夫、大丈夫。クルマで寝れ」問答無用で、そう言い切ると皆川はクルマを走らせた。
機嫌良さそうに『日曜日よりの使者』なんぞを歌いやがって…大抵、皆川がこの歌を歌うと俺は何かしらトラブルに巻き込まれる事になっている。呪詛でも込めて謡っているんじゃないのか…まったく。
婦中町から大沢野町に抜け、さらに国道41号線を南下していく。クルマの適度な振動と陽気に包まれて、極度の睡魔に襲われる。
そして、僕は意識を失った。
ふと、肌に感じる気温が冷たくなったように感じる。軽快なエンジン音は相変わらず真後ろから聞こえている。これと言って異常は無さそうだ。うっすらと目を開け、「何処?此処?」と皆川に尋ねる。
それと同時に、目を擦りながら辺りの情報を確認する。
周りを見れば木々の緑と広大なる山々、大自然が織り成す絶景。
ああ、緑が目に染みるなぁ。見慣れない景色ばっかりだ。
「ん、神岡だぞ」皆川はタバコを吹かしながら飄々と答える。
「神岡かぁ」確かに遠くを見れば鉱山らしきものが見える。並び立つ煙突からもくもくと煙が立ち昇っている。
《ああ、煙さんも空に還っていくのかぁ。あははは。すごいなぁ》
ちょっぴり寝起きでハイな頭になっていたが、ハッとして、「神岡ぁ!?」僕の声が山々に木霊したのは言うまでも無かろう。
皆川は僕の大声に少し驚き、「そんな大声を出すことも無いだろう?」と面倒臭そうに言った。
「まー、これだけ晴れてるんだからサ。家の中に居ても仕方ないだろ。気晴らしだよ気晴らし♪」皆川はニコニコしている。語尾の音符マークがこう、この男の計画的犯行を物語っているわけだが。
「……」ジト目で睨むと大きく溜息を吐く。
オープンになっているこのクルマの天井、つまり空を見上げた。蒼い空がそれこそ視界一杯に広がっていて、水彩絵の具を水に溶かしたような雲が蒼のキャンバスに散り散りになっていた。
-あー、もう、どうにでもなれ…。
立ち寄った道の駅で、五平餅とみたらし団子を食べる。有機野菜が売っていたので思わず買ってしまう。皆川に変な物体を見る目で見られる。非常に不愉快だったが、実際どうなんだろ。
「【栃洞】の鉱山宿舎跡が在るのさ。取り敢えず、今そこに向かっているところなんだ」皆川は【山ノ村】から【栃洞】へクルマを進ませる。此処は日本なのか、と思うようなヨーロピアンな風景を通り過ぎると一気に過疎と言う文字がよく似合う村が見えてきた。
死んだ田園。
休ませてあるとは到底思えない、それは雑草が一面を覆い尽くし、立ち枯れしていた。錆付いた世界を構成する重要な要素として、それらは目の前に広がる段々畑の跡を鈍色で彩っていた。
田圃に近付いて見れば、立ち枯れした草の間から、新たな命を全うすべく雑草が生えつつあった。
かつては多くの人達が畑仕事に精を出したんだろうな、と思うと少し切なくなってきた。
「それにしてもお主、よくこんなところ見つけたな」皆川の行動力は何処まで及んでいるのだろう。
一気に山を駆け上がってそれから下った盆地のような場所にある、『下界』と隔絶されたような先程の村と言い、今から行くと言う宿舎跡といい。この男は何処からネタを仕入れてくるのだろう。そもそも、現地まで行こうって思える皆川は若いなぁ。2歳しか違わないはずなのに。
「ああ、【三国 良太】(みくに りょうた)って知ってるだろ?」皆川が傾斜のきつい下りを攻めながら話す。
「ああ、あのパソコン屋の?」僕と皆川がよく使うパソコンショップ・ぱそこんヴィレッヂの店員の名前だと気付く。
「そうそう、その三国にこの間連れて来てもらったってわけさ」皆川は「よっと」と声を出し、ステアリングを切る。勾配のあるコーナーをガードレールすれすれによせて、皆川のクルマは易々とクリアしていく。
「あやつも、妙な知識をもってるなぁ」僕は助手席で変化し続けるGの波の中で、三国のイメージを思い出し、少し感心した。三国は普通の優男でこんな所に来るような奴には到底見えないんだけど。
「まぁ、あいつは山好きだからなぁ。あちこち行っているみたいだ。俺は単に『峠を攻める』のと『廃墟』が好きなだけだからなぁ」色々と突っ込みどころ満載の発言を有難う、皆川。
「んで、これから行く所って…?」段々と寂しくなっていく風景。擦れ違う車も無い。ああ、なんて人里離れたところなんだろう…。
晴れていた空は曇っていて、なんとなく陰鬱(いんうつ)な雰囲気を醸し(かもし)出していた。
「ああ、宿舎みたいなものが沢山在るんだよ」皆川は目を輝かせて答えた。
「ほう」僕はまだ見ぬ廃墟に少しだけ思いを馳せた。
同じような風景の道を延々と下り続ける。僕たちの走っている道がまるで、忘れ去られてしまった世界のように対向車が来ない。無論、僕らの跡からクルマが現れるなんてことも無い。
-閉ざされた世界の中でループでもしているんじゃないのか?
妙な幻想を抱く。
まったく、どういう所だ、ここは。突然視界が開け、寺社と木造アパート群のようなものが見えた。
「お、着いた着いた」皆川はクルマを停め、僕にも降りろと促す。30°位の傾斜に木造建築の古びたアパートが立ち並び、朽ちていた。
「すごいな、これ」僕は何とも言えぬその止まった時間を目の当たりにした。モノトーンの良く似合う風景。いつから放棄され放置されたんだろうか。
多くの宿舎は崩れかかっており、中に立ち入ることは不可能だと思えた。
しばらくそのアパート群を写真に撮ったり、周りを回ったりした。
屋根が雪の重みでか崩れ去っているもの。
壁が一面無かったことにされているもの。
様々な様態でそれらはその場所に鎮座していた。
「ん、何だ、あれ」唐突に皆川は逆斜面を振り返り指差す。『何か』を見つけ出したようだ。
「ん、どれだ?」僕は皆川の指差す方向を見る。確かに何かコンクリート製と思われる建造物が見えた。持っているデジタルカメラのズーム機能で何か特定しようとしたが、残念ながらその建造物は半分を緑に埋めており、一体何であるか皆目見当もつかなかった。
「よし、枝さん。あっち行くべ」皆川はそう言うと踵を返す。
「あの白い建物まで行くのか?」僕は皆川に尋ねる。
「無論。さぁ、乗れ。置いてくぞ」皆川は素早くクルマに乗り込みエンジンを掛けている。僕も皆川に続いて車に乗り込む。
「まぁっかな~♪」ルパン三世のテーマを口ずさみ皆川は気持ち良さそうにクルマを走らせる。先程の建物に辿り着ける道を探すべく、見晴らしの良い場所から周辺を見回す。
「あ、あれか?」皆川はどうやら道を発見したようだ。二又に分かれており、一本は下りで、明らかに今目指そうとしている建物があると推測される場所とは真逆に向かって伸びていた。
行くとしたらもう一つの方だという事は日の目を見るより明らかだった。早速、発見した道を進む。
道自体がうねりを帯びていて、先程までの手の入った道ではなかった。ところどころアスファルトの舗装に穴が開いて穴を避けるようにして坂道を上がって行く。
「うお、これはやばいな~」いつに無く真剣に運転している所を見ると、本当にやばいみたいだ。
何とか坂を駆け上がった先に公民館と思しき建物が建っていた。そして、再び道は二つに分かれていた。一本は確実に僕達の目的から外れそうな道で、多分行く手は未舗装道路だろう。青々とした畦道が続いていた。
もう一本が正解ルートと思われる。鎖が道の端から端に張り巡らされており、真ん中に関係者以外立ち入り禁止と言う札がぶら下がっている。
「こっちだな」皆川は迷わず鎖のルートを選んだ。
「っぽいなぁ」僕も相槌を打つ。クルマで進めそうも無いので、否応無しに公民館の前にクルマを停める。若干の躊躇い(とまどい)はあったものの、ここまで来た以上は行くしかないだろうという念が僕の中に湧いた。
無言でクルマを降りる2人。鎖を跨ぎ(またぎ)、皆川の見つけた建物を目指す。進むと道が三叉に分かれていた。
左手に皆川の見つけた建物、まっすぐ行くと下りで鉱山跡に辿り着けるらしい。右手はかなりの勾配の道で上方へと続いていた。
「まぁ、あの建物から見に行こうか」タバコをいつの間にか銜えて皆川がザクザク歩き出す。本当にタバコが好きなんだな、この男。タバコの臭いすら受け付けれない僕は、半ば呆れながら、「そうだね」短く言うと僕も皆川に習ってコンクリート製の建物を目指した。近付くと、それは草に侵食され、自然に還ろうとしていた。
「すげぇな、コレ」皆川は建物の外周を回って見ていた。僕はただ建物の中に散らばった過去の遺物を見ていた。
「幼稚園か、小学校っぽいな」皆川が感想を述べる。
「そうだな~、何らかの教育機関だったことは間違い無さそうだ」僕も皆川と同じ意見だった。
進入は草木に邪魔され今日持ってきている装備では不可能そうだったので、クルマの所まで退却する。
「あの上りの方、何か在りそうだな」皆川が急勾配の坂道を指差す。
「確かに」相槌を打つ。木々が多い茂っているが、明らかにヒトが作った道がそこには在った。
「じゃ、行ってみよう」皆川が突き進んでいく。
僕たちは延々と坂道を登ることになった。最初、雑草に侵食された道は、途中からコンクリートで舗装され、道幅が広くなる。
いつ頃整備された道なのか、皆目見当もつかない。くすんだコンクリートに、茜色の木漏れ日が落ちてきて、夕暮れが近いことを僕達に告げる。
坂の下には森に沈んだ人工物。積雪の重みか、天井が『くの字』に折れ曲がり、砕けているモノも見えた。
「もう直ぐ完全に無くなるな」僕が呟くと「そうだな、木造だしな」皆川がデジタルカメラを片手に眼下に広がる廃墟群を見下ろしていた。
そして、その時は急にやってきた。
【鑛山四柱神社】と書かれた鳥居が僕達の前に聳え立っていた。
「すげぇな…」それは異世界への扉のように止まった時間に誘っていた。急な石段を一歩一歩踏み締めて登る。
夕焼けが影を石段の天辺まで引き伸ばす。足元にはどんぐりが散らばっており、なんとも言えない感情が心の中を渦巻く。
石段の天辺まで辿り着くと視界が開ける。かなり広大な境内がそこには在り、雪によって破損したであろう屋根を被り、社が大きく構えていた。
左側にある社務所らしき場所は窓が破られ、中を直視することが出来た。そこはキチンと整頓されており、何も無かった。
そう、かつての面影などどこにも無い。
静寂が境内を包んでいる。
息吹くものは僕と皆川だけ。
野鳥…カラスさえも居ない境内。
携帯の電波の届かない場所、ヒトの手から放棄された場所。
境内の左側に戦死者を祀った石碑を発見し、見て回る。コンクリートがまだ新しい。それ程の星霜を重ねたものではない事を理解する。
夕暮れ時。空を見上げると蒼と赫(あか)が入り混じっている。カラスすら居ない空。ある意味理想的な風景では在るが、見慣れない空。
「そろそろ、帰るか」皆川は辺りを見回し、これと言って何も無い事を確認するとそう呟いた。
「そうだな、帰ろうか」時計の針は16時を回ったところだ。ここから自宅まで帰るとすると2時間位か。クルマの所まで引き返し、今来た道を見上げる。人の手の入らなくなった人工物は何故か恐怖の対象になる。
「じゃーな」皆川は手を振った。何に対して手を振ったのかわかりかねるが、まぁ突っ込んだら危険そうなので黙っていた。
帰り道を異常な速度で攻めて行く皆川。景色がすっ飛んで行く。
「そう言えば、このクルマ」皆川に話し掛ける。
「あ?」
「スタッドレスじゃなかったか!?」思いっきり大声を上げて尋ねる。
「そーだよ!」負けじと大声で返される。
「まて、ちょっとまて、すぐまて、すぐ止まれ」ナビシートに座る僕を冷めた目で見ると皆川は黙れと言わんばかりに、アクセルを更に踏み込んだ。
「う…お…」暴力的なGがかかり、加速していく。コーナーが差し迫る、そして、そのコーナーの路面状況が今までと違うことくらい僕にも見て取れた。
「あ」皆川は短く呟くのが聞こえた。
縦Gから強烈な横Gに変わる。スパン、と皆川のクルマは360°回転し、崖下を目指す。
「あー」お互い情けない声を上げる。
ぐっと突然クルマは停止し、顔を見合わせる。
「あははははははは」隣で皆川が突然笑い出す。
それから「こええ」皆川が珍しく青褪めた顔をしている。
「てか、バカだろお前。スタッドレスで攻めやがって! 」抗議の声を上げる。
「悪い悪い、ってか滑ったのはケツだ。ノーマルタイヤ履いてるんだぞ、一応」皆川は意味の無い反論してクルマから降りた。
「コレじゃ、滑るわな」タバコを取り出し火を点ける。路面は砂が積もっていて、μがかなり低いと思われた。
「進入速度、速過ぎだよ」僕は皆川を小突く。
「うるひゃい」皆川は溜息と一緒に煙を吐き出した。
「それにしても、崖までもう少しだったな」僕は皆川のクルマの背後に回り、崖下を覗く。
「ああ、マジで危なかった。枝さん、悪かった」いつに無く真剣に皆川が謝った。
「ああ」どう対応していいかわからず間抜けな相槌をするのだった。
この日は何事も無く無事に家に帰ることができた。まぁ、何事も無くと言う言葉には語弊があるが。
結局、皆川は途中で睡魔に勝てず眠り落ちた。
僕は皆川のクルマを運転する羽目になり、久し振りのマニュアルシフトのクルマを自宅まで50キロ余りを運転して帰った。
「へぇ、面白い人だね。皆川さんって」真夜は信じられない台詞を吐く。
「どこをどう取ったら面白い人になるんだ。迷惑千万だぞ」僕は真夜をジト目で睨んだ。俺の話の中に何を見出した、妹よ?
「おにいちゃんみたいに引篭もっているよりマシじゃない?」うわ…そう来るかっ!畜生、反論できない自分が情けない。
「さて、もう寝る」僕はがっくりと肩を落としたままソファに沈み込むと、溜息を思いっきり吐いた。
「そうそう、私も一緒に行くからね」一瞬何を言っているのか理解できなくて「は?」と聞き返す。
「【咎隠村】に、だよ」真夜は物騒なことを言い残すと部屋を風のように出て行った。一人残された僕はただ覚悟を決めるしかなかった。
「…マジで行くのか」真夜に対してか、自分に対してか。その疑問は宙に浮いて消えた。
皆川 裕篇
第壱話
人生は愉しんでこそ人生。
≪いつだって現実は自分の行く手を遮っている。それをぶち壊すのは自分自身の手だ≫
5月1日…を迎える数時間前、つまり4月30日深夜。
無事、長野に辿り着いた俺は高塚と別れ、長野駅の駅前をうろついていた。
「かったりぃな」中学生の頃からの口癖を呟きつつ、タバコを銜え天を仰ぐ。色取り取りのネオンに掻き消された星星の瞬きが虚ろに見える。
『地上の星』なんて言えば聞こえは良いが、単なる人工物、単なる薄汚い光だ。それらが存在する背景に何のロマンも感じない。ネオンの星の下に在るのは物欲と肉欲と、ま、そんな下らない感情だろう。
「ネオン管の中の妖精さんが燈した明かりを見ると皆欲望の化身になっちゃうんだよー…ってか?馬鹿馬鹿しい」歩道の半ばまではみ出した看板を蹴ると妙に虚しくなった。
勢いで…いや、伊達と酔狂でここ、長野まで来たがこれから先の目途なんて立っていない。どうにかなるだろう、ってかどうにかなってくれ。
街を行く人なんてどこに居ても一緒。無心に『先』を急いでいる、信号で止まれば時計や携帯を見てなにやらそわそわと。
一体、てめぇらの行く先に何があるってんだ?
ジジっと音を立ててタバコが一気に灰になる。
ただ、死に向って歩き続けているだけだろう?
タバコを吐き捨てると、左足で踏み躙った(にじった)。
「かったりぃな」ガードレールに腰を掛けた。何処に行っても現実から遠ざかる事は出来ない。現実はいつも目の前に立ちはだかっている。
学生時代、『現実ってそもそも何なのか?』とか、自分で何か論題を立ててそれに関して哲学的に物事を考える事が好きだった。延々と続く自問自答。答えのない問題。究極の暇潰し、とでも言うのだろうか?
答えのない答えを探し続ける。それは現実を生きるって言うことと同義だ。まぁ、そんな事を今考えるべきじゃないし、明日からは確実に忙しくなる。目を瞑り、雑踏に耳を傾ける。
ざわめき、クルマのアイドリングの音、電車の音、風の音。色々と聞こえた。音もいつしか消えてしまった。
ただ、目を瞑り続ける。
見知らぬ街の夜は異国の匂いがした。
あまりにもする事が無いので携帯を弄る。Javaアプリでゲーム、なんてことも出来るが携帯電話では操作性が悪いので俺にとっては無用の長物だ。
着メロや着歌なんかも充分過ぎるほどダウンロードしてしまった。なにかを検索して時間を潰すなんてそんな『なにか』も俺には残されていない。
もはや携帯を弄って何かするなんて無駄な行為としか言えないだろう。
それでも携帯を弄り、電話帳を検索する。電話帳は友人の名前と顧客の名前だけ。なんとも切ない電話帳なんだろう。ただ、思考する。そういう一人遊び。
時刻は23時を迎えようとする頃。
俺は見知らぬ街を彷徨い歩く。誰に電話できるわけでもなく、閉じた携帯がズボンのポケットで窮屈そうにしている。
もう一本タバコを取り出し、火を点ける。紫煙が巻き起こり、中空へ舞う。
「ほんと、かったりぃ」駅の階段に座り込む。まだ、俺も若者なのかねぇ?そう考える。地べたに座り込むなんて若くなくちゃ出来そうも無い。でも、今の俺に若者としての自覚が無い。俺は、なんなんだろう。
ふと、道端に一人で座り込んでいる女が視界に入った。多分、可愛いんじゃないかと思う。俺の直感がそう告げていた。
服装は至って何処にでも居そうな淡い青色のジーパンに白色のフリース。その上から軽く黒色のジャンパーを羽織っている。顔はセミロングの髪に隠れていて俺の居る位置からは把握できない。年齢は20代前半くらいだろうか。
取り敢えず、一人で居るならラッキー。暇潰しに声を掛けてみるか。
「こんばんは。何してんの?」女の前に立ち、にっこりと笑ってみる。
無言で俺を見上げる女。髪がサラサラと流れて隠れていた輪郭が露になる。
その眼は鋭く、見上げるというより睨まれたような気がした。
気まずいので隣に座ってみる。
しばらくの沈黙。女は別段気に留める様子も無く「ヤニくれる?」と俺に左手を伸ばす。高音で奏でるハスキーヴォイス。聞き心地の良い声だ。
「ん、赤マルで良ければ」俺はポケットからタバコを取り出すと女の左手に持たせてやった。
「ありがと。飲み過ぎで気持ち悪いんだ」右手を口元に当てて吐きそう、と言うジェスチャーをする。それからタバコを咥え、体育座りからおねぇ座りに足を組替える。顔は薄暗くて確認できない。輪郭から想像すると悪くはないだろう。ただ、さっき座る前に見た眼光の鋭さはかなりのものだ。
「火、貸してくれる?」パタパタと左手を動かして俺に火を催促する。
「ん」俺はポケットかZippoを取り出すと女の手に持たせてやった。キン、シュガッっと良い音を立てて女はタバコに火を灯した。ライターの光に照らし出された女の顔はそこいらに転がっている芸能人なんか足元に及ばないくらい整っていた。切れ長の眼、すっきりと小さな鼻、唇も適度な色気を持っていた。一瞬、見惚れてしまう。
「へぇ。一人で飲んでたの?」釘付けになった視線を逸らし、俺は女の隣で一緒になってタバコを吸う。
「まぁね。でも、ダメね。一人で飲んでると男が寄って来て。ほんと、ウザいのなんの」女は眉間にしわを寄せかったるそうな表情で一気に煙を吐き出す。
「ん、邪魔だったか…。んじゃ」シュタッと右手を上げて、女の横から立ち上がりその場を去ろうとする。
…まったく邪魔なら邪魔ではっきり言えば良いものを…。遠まわしに言われるとむかつくなぁ。
がしっとジャケットの裾を掴まれる。
「ん!?」意外なリアクションに俺は女を見下ろす。
「あのねー、人が話してるのに何処か行こうとしないの!」そう言うと裾を思いっきり引っ張って自分の隣に俺を引き戻す。
「…へいへい」面倒臭そうに(実際面倒なわけだが)女の隣にちょこんと座ってやる。性質の悪い酔っ払いに関わってしまったらしい。これから愚痴タイムに突入なんだろうか。
「あー、あたし呉葉(くれは)」にっこり笑って、さらっと自己紹介しやがった…。取り敢えず長引くことは間違い無さそうだ。まぁ、俺も暇だし少し付き合ってやるか。
「ほー」気の抜けた返事を返すと、タバコを一気に吸い尽くす。
「…」沈黙が二人の間を支配する。
「あのさぁ?」呉葉と名乗った女が話し掛けてくる。
「何だ?」面倒臭そうに呉葉を見る。
「おにーさんの名前は?」興味津々と言った表情で呉葉が俺の顔を覗き込んでくる。何をしたいんだ、この女。
「ごんべぇ」短く簡潔に俺は答えた。
「…」再び沈黙。
呉葉の笑顔がヒクついている気がするが気にしないでおこう。気にしたら負けだ。
「ごつん」呉葉の声と同時に頭頂に衝撃を受ける。つうか、声に出して言うか、普通。
「いってぇな」俺は打たれた脳天を右手で擦りながら、半分涙目で呉葉を見る。
「はい、ちゃんと教えて?」呉葉はまた、にっこり笑うと俺に右手を突き出し、レポーターのように尋ねるのだった。
「あー、裕(ゆたか)。宜しくな、呉葉姫」おどけて呉葉に名乗る。
「ゆたか、か」呉葉は俺の名を一度呟くと、「ねぇ、ゆたか。何処か行かない?」と俺の手を取り立ち上がる。この女、マジで突拍子も無いな。って言うか、もう名前で呼ぶのかよ。最近の若者は異次元人だな。
「まぁ、いいけど?」やれやれ、といった感じで呉葉に続いて立ち上がる。
「もう一本吸うか?」俺は自分のタバコを取り出し銜える。それから、箱を開けて呉葉に向ける。
「ありがと」呉葉はタバコを取ると、俺のZippoで火を点けた。
火の光に映し出された呉葉の顔はゆらゆらと光る火に照らされ幻想的に影を揺らめかせた。何度見ても呉葉の顔は整っていて見惚れてしまう。
「じゃー、行こうか。ゆたか」突然立ち上がり、ふらふらと歩き出す呉葉。かなり危なっかしい。
がつっと音がして、見てみれば呉葉は某白いおじさんに突貫して頭を抱えてしゃがみ込んでいた。
「大丈夫か?」俺は呉葉に正面になるようにしゃがむ。両目に涙を溜めて「うー。」と呉葉は唸っていた。ネタでやっているのか酔っ払ってやっているのかかなり判別しにくいところだが。
「まったく、気を付けろよ~」軽く呉葉の頭を撫でてやる。
「子供じゃないんだから…」頬っぺたを膨らまして俺を睨む呉葉。
「あはははは、可愛いよな、呉葉は」呉葉の目を見つめて、率直に意見を述べてみた。大体はこーやってストレートに言うと女の子はクラっと来る。ボッと音がするかの如く、呉葉の顔は真っ赤に染まる。
「なななあにいってるのょ…」どもりにどもって呉葉が抗議の声を上げる。
「何、焦ってんの?」ニヤニヤとしながら呉葉を見る。
「目、エロいよ」ストレートに返されたな、俺。
しばらく当ても無く呉葉と街を歩く。段々と夜風が冷たくなってきた。
呉葉もそこの所わかっていたのか、羽織っているジャンパーは割と厚手だ。
「寒いな」もう何本目のタバコかわからないタバコに火を点けて呟く。
「そう?じゃーあたしと腕でも組もうか」呉葉は俺の左腕を引くと自分の右腕に絡ませた。もはや、この女が何を考えているのか分からない、つうか最近の若者全般が本当にわからなくなってきた。
「あ、悪い。右で組んでくれない?」取り敢えず突っ込まずに何事もなかったことにして俺の主張を唱えた。
「ん?あ、左利きなんだ。珍しー」呉葉は俺の意図を解したのか、素直に腕を組替える。
「割と暖かいな」呉葉の胸の弾力が俺の右腕にほにほにと当たる。
「だねぇ」呉葉はニコニコ笑っている。
何か企んでるんだろうか、怖いなぁ。
初対面の男にこーやって腕組みできるって普通は在り得ないよなぁ。
まぁ、なるようになるさ。
でも、油断は禁物ってなぁ…あー、どうするかな。かったりぃ。
「おなか減った」呉葉が突然立ち止まる。
「ん?確かに腹減ったな」時計は2時を回ったところだ。適当にファミレスにでも入るかね。気が付けば駅前からかなり離れていしまっていた。
周囲を見回せば、若干寂れた街並み。ネオンの光も何処か遠くになっていた。
「何処に行く?俺、ここいらさっぱりわからないんだけど」呉葉を見る。
「んー、そうねぇ。ここで終わりにする?」呉葉が俺に背を向けるようにして立っている。
「ここ?」俺は周囲を見渡す。
いつの間にか俺達は閑静な住宅街(…と言うか、寂れた街並みと言ったほうが良いのかもしれない)に居て、直ぐ傍には公園。呉葉はその公園を指差して言っていた。
街灯もほとんど無く、非常に暗い公園で、何か善からぬ事をするのにうってつけの場所だと思う。胡散臭い事極まりないので「この公園?」と俺は確認するようにして尋ねた。
「そう、ここ」呉葉はその端麗な顔に張り付いた笑顔を載せて振り返る。そして、再度俺に『ここ』と言うことを強調した。
どうやら、俺の嫌な予感がどうやら的中しそうだ。
…それもクリーンヒットで。
「ここで終わり。それで良いじゃねーか、兄ちゃん?」俺と呉葉の会話に低い男の声が割って入る。
そして何人かの足音。
5~6人だろうか。久々に嫌な汗が伝う。
「ゆたか。有り金、全部くれれば何もしないよ?」悪者の眼つきで呉葉が笑う。この時代に美人局かよ、おい。何の嫌がらせだ。
「まいったな、何にもしていない女に払う金は持ち合わせていないんだよ」にっこりと笑う。幸いポケットには今回の旅に使えるかと思って買った『アレ』がある。こう言う明かりの乏しいところだと効果は抜群だろう。
「兄ちゃん。何、余裕ぶっこいてんだよ」呉葉と同年代位だろう、よく街中などで見かけるズボンから下着を出し、Tシャツの上からライフジャケットっぽいものを羽織った量産型若人(りょうさんがたわこうど)が俺を威嚇する。
「まぁ、俺の名前は『裕』って言うからな。豊かさは有り余ってるさ」効果音が付くくらいの冷たい空気が流れていく。
ああ、言わなきゃ良かった。
頭の中が真っ白になる。
そして、半分泣きそうになりながら、「それにしても、貧乏人は余裕が無くて大変そうだな?」と爪先から頭の天辺まで見上げてやった。
「んだと、このガキ」威勢のいいお兄さんはどうやら馬鹿にされた事を理解出来るくらいの知能を持ち合わせていたようだ。つまらん。
ざっと状況を確認する。
正確な人数は5人。
呉葉を合わせると6人。
やってやれない人数じゃない。
ただ、囲まれたら終わりだ。『36計にぐるにしかず』っつーからな、隙を見て逃げるとしようか?
「ガキ?もう少しセンスのある言い回しが出来ないものかね?それじゃ、教養が疑われるぞ」取り敢えず煽るだけ煽って隙を作るとしようか。
ええと、逃げに使えるものを持っていなかったっけ…。真っ白になりつつある頭の中に何か無いかと、光明を探す。ポケットの中に『アレ』が在る事を思い出し、ポケットの中を弄る。
そして、テンパって、すっかりと忘れていた『獲物』を握る。
ジリジリと間合いを詰められる。まるで狩りでもされている感じだ、気分悪りぃ。勿論、獲物は俺なんだけど。
「筋肉に栄養がいっちゃった、可哀想なお兄さん。そこで無言になっちゃうなんて脳ミソ、フリーズしちゃったか?」もう一度にっこりと笑う。
「何だと、榊さんに向って…。こるぁぁぁあ!!!」一人の優男相手に獲物を使うでもないと判断したのか、俺と話していた男の後ろから1人が拳を握り締めて俺に殴りかかってきた。榊と呼ばれた男がそれを無言で制止する。
「なぁ、兄ちゃん。舐めた口をきくのも大概にしろよ?」榊は俺を睨み付け、拳をパキパキと鳴らした。
-拙いな。
逃げ出す隙を作れそうもない。榊が俺に一番近い位置に立っていて、それを取り囲むように他の4人が立っている。
こうなればやるかやられるかだな。状況を把握しよう。
5人とも素手でリーチの長い道具や飛び道具を持っていそうにない。今まで素手で十分だったのだろう。それならば俺にも手立ては在る。あとは、隙をどう『作るか』だな。俺の後ろに居る奴らは大した事なさそうだ。しかし、眼の前に居る、榊を何とかしないとどうにもならないだろう。
「お山の大将がナニ気取ってやがる。てめぇみてぇなヘボは山へ帰れっつーの」そう言うと俺はずり落ちた眼鏡を中指で持ち上げた。
「殺す」眼がマジになった榊の右手が俺の顔面目指して伸びてくる。こういう展開は、ちょっと誤算だなぁ。しかも、すっげぇ迅いし。
「うおっ」俺は紙一重で榊の拳を避ける。
-避けながら周りの状況を確認する。
公園の周りは人通りのない道路。明かりの灯っていない家々の窓。まぁ、深夜2時だし当たり前と言えば当たり前か。
今立たされている状況は、取り囲まれているとはいえ、退路を断たれているわけではない。何とかならないものかな。
「ちょっと待てって、暴力反対!」間合いに入っていたら一撃で終わる…それほど榊の拳にはキレがあった。俺はもう一度5人の位置関係を把握する。
「だから、言ってるじゃねーか。ボコボコにされたくなかったら金を出せって。よっ!」榊が再びキレのある拳を繰り出してくる。周りの男達は何もしてこない。むしろ、何も出来ないと言ったほうが良いのかもしれない。俺と榊の間に入ると、間違いなくとばっちりを受けるからな。
「ちっ、そういうの恐喝って言うんだぞ今畜生!!!このウスノロ野郎、けーさつ呼ぶぞ!ゴルァ!」俺は間合いを取りながら引く。
「口だけは、本当に達者だな。とっとと金を出せ」間合いを詰められる!榊の拳が俺の顔面を捉えた。
パシィッ。
肉と肉の打ち合う音。
「アブねぇじゃないか。このウスノロ」久々に自分に向けられた殺意に対して、ブチ切れかかる。ってか、誰様相手にタメ口聞いているんだ、こいつ。
「…」『ウスノロ』と罵られた榊が俺にガン付けするがキレてる俺の目を見て目を反らす。
さて、今の俺はどんな表情をしているんだろうな?
眼鏡越しに見える風景は久々に現実から遠く離れてるような気がした。
榊の腕は俺の掌に弾かれて明後日の方向に向かって伸びていた。俺はそのままゆっくりと歩を詰める。
互いの息のかかる距離まで近付くと「なぁ、殺してくれるんだろ?さぁ、殺してみろよ?」低く、声を出した。俺は榊から視線を逸らさずにタバコを取り出し、火を点ける。煙が俺と榊の間を隔てるようにして流れていく。
事が始まってからどれくらいの時間が経過しているんだろうか?さっぱりとわからないが、こういう緊迫している時間は非常に長く感じてしまう。
俺に睨み付けられている榊は微動だにしない、寧ろ動けないと言ったほうが正解か。他の連中も金縛りになっているかのように動けずに居た。
きっと、榊の一撃で俺が倒れ、後は取り囲んでいる4人が俺を袋叩きにして金目の物を奪う手はずだったのだろう。それが狂ってしまっている以上はどうすることも出来まい。司令塔は俺の正に目と鼻の先で固まっているんだから。
「な?そろそろ止めないか?」にっこり笑ってから、もう一度ガンを付ける。
「う…」気迫に押されたか、榊は自然に目が逃れるのを必死で止め、俺の視線を受け止め続けている。
「ああ、でも…。にぃさんよ?俺の顔に傷をつけようとした…オトシマエ、貰っとくぜ?」俺は弾いた榊の腕を掴み反転する。そのままの勢いで榊を一本背負いで投げ飛ばした。空中を軽やかに榊の身体が舞う。それから『ドッ』と鈍い音がして、榊が地べたに叩きつけられた。
最後に俺はその力の流れを利用して、肘を榊の鳩尾(みぞおち)に突き立てた。声にならない声を上げて榊は悶えた。
「んー、名付けて肘落とし(かいなおとし)ってか。死ぬなよ?」パンパン、と埃を払って立ち上がる。4人が呆然と立ち尽くしている。
「他の、連中…。どうするよ?」俺は取り囲んでいる4人にガンを付ける。掛かって来たのは榊に制止された1人だけ。威勢良く掛かってきたのは賞賛に値するが実力差って言うものを無視することは出来ない。可哀想に俺の放った蹴りを鳩尾に受け、咳き込みながら地べたに沈んだ。
「弱過ぎるんだよ。まったく…」残った雑魚にガンを付ける。単なる根性の無い若者3人は我先にと、散り散りに逃げ出した。
場に立って居るのは二人、俺と呉葉が残った。そんなに重くは無いけど、それなりに重い空気が俺達の間を抜けていく。
「さて、どうするの?呉葉姫?」俺は呉葉に向って右手を差し出し、お辞儀をしておどけてみせた。一瞬、戸惑った表情を見せたが「バカね」と言い、呉葉は冷笑した。
ジャリッと背後で音。
唐突に後ろから首を思い切り締め上げられた。…うわ、仰る通りです、確かに俺は馬鹿ですよ。
チクショウ、キチンと止めを刺しておくべきだったなぁ。今更、後悔してもどうにもならないわけで、されど後悔したくなるのが人間と言うものだ。鳩尾に打撃を喰らって起き上がってくるなんて普通は考えられないんだけどなぁ。
「ごほ、ごほ…。こ…の…」ゼイゼイと呼吸音が聞こえる。
ああ、榊だな。よく鳩尾をやられて短時間で復帰するものだ。心底、この男の生命力と言うかタフネスさと言うかに感心した。
唇からタバコが離れ段々と息苦しくなってくる、まぁ、首を締め上げられているのだから仕方ないのだが。鼓動に合わせて視界が縮まっていくのがわかる。こーゆーの、結構ヤバイよなぁ。と冷静に頭の片隅で考える。
でも、これじゃ拙いなぁ。ポケットから『取っておき』を引っ張り出し、スイッチを入れた。素早く榊の顔に突きつける。
「うあああああああああああああああああ」絶叫とともに、榊の手が緩み、その隙を付いて俺は反転し、榊の腹に遠心力のかかった掌打を叩き込む。それから踵を返すと、榊から間合いを取る。
「ごほっ…。SUPER-LEDの懐中電灯だ、しばらく何も見えないだろう」振り向けば、榊は左眼と腹を押さえて蹲って(うずくまって)いた。
右目で俺を睨んでは居たが先程までの殺気は消え、むしろその眼は怯えを隠せないで居た。俺はもう一度タバコを取り出し、銜える。
「俺もさー、この光を見たことがあるが、眩しいを通り越して『痛い』からな。痛かっただろ?」取り出したタバコに火を点ける。静寂の中にZippo特有の金属音が鳴り響く。
「兄さんも伸びていればこれ以上の恐怖と屈辱を味わうこともなくて良かったのになぁ?何で起きちまったのかねぇ?」声のトーンを落とす。
もう、スイッチが入っちまった。温厚で居ようと思っていたのに、俺の中の狂気を呼び覚ましたお前等が悪いんだからな。…まぁ、事が終わった後でさっきの俺のように後悔でもしておくと良い。
蹲った榊の脇腹に渾身の力を込めた蹴りを一撃。哀れにももんどりうって地面に突っ伏す。ゆっくりとタバコを吸いながら吹っ飛んだ榊に近付くと、太腿に踵落とし(かかとおとし)を2発、自慢の腕を5,6回踏みつけてみた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ。俺が悪かった。助けてくれ」ジタバタともがきながら榊は絶叫し、懇願する。
「何だ、もうギブアップか?」溜め息と交じりに俺はもう一度、大きく足を振りかぶり勢いをつけたところで榊の太腿を蹴りつけた。砂の詰まったボールを蹴ったときのような鈍い感触、そして悲鳴。まったく、自分がされて厭な事は人にするな。自分自身に言い聞かせながら榊に灸を据えた。
「ひぃ。ごめんなさい。もうしません。助けてください」榊は痛みで身動きの取れない身体を芋虫のようにのたうって、俺に子供のように懇願する。先程までの威勢はどこに消えたのだろうか、情けないを通り越して惨めだ。
「いいよ」と、俺はあっさり言う。そして、しゃがみ込んで榊の顔を覗き込んで「かったりぃから、何処でも行けよ」と吐き棄てた。
のそのそと榊は立ち上がり、「ごめんなさい」と「ありがとうございます」を壊れたおもちゃのように繰り返すと公園の外へと歩いていった。捨て台詞を残していかないところが、こう、俺の興味を殺いだ。
「さて、呉葉。どうオトシマエつけてもらおうか?」呆然と立ち尽くしている呉葉に声をかける。
「あ…」俺の声で我に返ったのか、現状を把握で来ていないように見えた。
「取り敢えず、道がわからねーから駅前まで案内しろ」俺は呉葉の眼を見て言い放つ。呉葉の眼に若干の光が戻る。呉葉は俺の言葉に無言で頷いた。
呉葉は無言で俺の前を歩く。俺も無根で呉葉の後を歩く。
「駅までどのくらいかかるんだ?」呉葉に尋ねる。びくっと身体を揺らし、立ち止まり、それから少しためらった後「もう少し」呉葉はそう言うと再び、俺の前を歩き出した。
先程のような事はもう起こらないだろう、俺は黙って呉葉の後を歩いた。
段々と人の手の加わった『自然』が増えてくる。間違いなく繁華街に向かっている事は窺い知れた。
「で、どうするんだ」俺の質問に足を止め、振り返る。
「何をどうするって?」呉葉は俺を睨み付けた。頭一つ下にある呉葉の視線が俺を突き刺す。
「いや、これからさ」呉葉の後ろ盾を完膚無く叩き伏せた。そして、榊達の所に居るでもなく今俺と一緒に居る。もう戻れないかもしれない。
「どうもしないわよ。いつも通り。皆とつるんで遊んで、そんな感じ」呉葉はそう言って「気にしなくていいわよ」と付け加えた。
「気にはするさ。お前の立場だったらって考えたらな。お前が気にしなくて良いって言うなら、まぁ、記憶から削除する」そう言って俺は呉葉の頭をくしゃくしゃと撫でた。呉葉は嫌がりもせず俺に撫でられていた。
「…さて。呉葉、お前此処が地元なんだったら、戸隠山の付近にある『村』まで案内して欲しいんだけど?」唐突に俺は切り出した。そんな俺を呉葉は何かおかしなものでも見るような目で「【村】って何よ?それに、なんであたしが?」と短く言った。
「なんでかって?」俺は言葉を区切り、呉葉の眼を見つめる。街灯に照らし出される呉葉の眼は小刻みに震え視線が定まらない。
「そうだな、旅は道連れって言うからな。それにオトシマエ、付けてもらおうと思ってね」スッと俺は呉葉の頬に触れる。ゆっくりと目元まで触れた手を持って行き、目尻に溜まった涙を拭ってやった。
「なに、泣いてるの?」俺は呉葉をそっと抱き締めた。呉葉は抵抗をせず、されるがままになっていた。
「大丈夫」呉葉は言葉を短く切ると、俺から離れた。少しの間無言が続く。そして、その重い空気を切り裂くように「ってか、嫌がっても一緒に来てもらうさ」とニッコリと笑い、右手を差し出した。
「ばーか」呉葉は苦笑して、俺の手と俺の顔を交互に見る。それから、戸惑いながら「それにしても【村】って…何処まで行くわけ?」と尋ねた。
「【鬼無里村】(きなさむら)って所までさ」『呆れた』と言う顔付きをすると、呉葉は俺の手に自分の手を重ねて「仕方ないわね」と笑う。
「お、来てくれるか」白々しくも全身で感動を表してみる。
「行かないって言っても連れて行くんでしょ?」微笑を湛えながら呉葉はウインクした。
「まぁな」俺はそんな呉葉の手を取るとギュっと握り締めた。
「ゆたかは何しに行くの?そんな所」不思議そうに俺を見る。
「ああ、【鬼無里村】に関してはどうでもいいんだ。俺は【咎隠村】って廃村に行きたいんだよ。知ってる?」呉葉の顔が一瞬、昏く沈んだ。珍しく鉄壁のポーカーフェイスが外れた瞬間だった。無論、追求はしないけど。後々聞く事にしよう。
「知らないけど。いいわよ、一緒に行ってあげるわ」表情を取り戻し、平然として呉葉は快諾した。
こうして俺は道連れに出来る相手を見つけることが出来た。
どうせ、また榊達に囲まれるフラグが立っていたりするんだろうし、それまでは仲良くしようぜ、可愛らしい道連れさん。
しばらく歩いていると睡魔が俺を蝕み始めた。そういえば、長野に着てから休むまもなく行動している事実に気が付く。取り敢えず意識をシャットダウンしてどこかで眠りたい。
「眠くなってきたな」呉葉の肩に凭れ(もたれ)掛かる。少し、ビクっと身体を跳ねると、短い溜め息とともに「何してんのよ」と俺の肩を擦った。
「いや、身を委ねてる」俺はさらっと言ってみる。
「あのねぃ」と溜め息交じりで言った後に、呉葉が『しょうがないわね』とおもちゃを強請る子供に折れたお母さんのように優しい声で「何処か休める所、行きましょう」と言った。
不覚にも足取りが覚束無く(おぼつかなく)なってきたので呉葉の肩に抱き付きながら歩く。段々と倦怠感が込み上げる。
「なぁ、直ぐ近くに眠れる場所ってあるのかよ?」睡魔に襲われ混沌とした意識の中で俺は呉葉に尋ねる。
「無い訳でもないけど…」呉葉は言葉を濁す。
「何処だよ?」俺は呉葉を見る。
「…」呉葉は無言で指差す。
俺はその方向を見る。これでもかと言うくらいのピンク色のネオンでぺかぺか光る看板。ライトアップされたその母体。
「ラブホォ!?」最後のほう、声が裏返った。
「…」呉葉が無言で睨むような眼をして、頬を薄紅色に染めて口をへの字にしながらこくりと頷く。
…つうか、この女…こんなキャラだったっけ?
最近流行りのツンデレとか言うヤツなんだろうか。まったく持っていい破壊力だ。正直今のリアクションで可愛いと思わない奴が居たら、そいつは2次元厨か男色だろう。マジで可愛いって呉葉。付き合ってくれないかなぁ…なんて心の中で思う。こういう彼女だったら幸せだな、俺。
…人なんて、もう愛せはしないけどね。
それにしても、本当にここでご宿泊するわけか?
そして、これだけ可愛いリアクションをする女と?
れーせーに考える。
妄想する。
…。
おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおい…ちょっとだけテンパってみた。それから軽く頭を振って冷静を装い、改めて看板を見る。
《ご宿泊平日4800円》
冷静に財布の中身を見る。『野口英世』先生が3人と『樋口一葉』さんが1人…500円が一つに、50円が2枚、10円が2枚で1円が3枚。
「ああ、安くて良い宿だな、確かに」俺は何かの覚悟を決めた。…出来るだけ、抱かない方向で。
「入るか…」俺は真っ赤になってこれまた、真っ赤になった呉葉の手を引きホテルに入るのだった。
何処の初々しい高校生カップルだ、俺らは!
高塚 浩志篇
第壱話
皆川と愉快な仲間たち2。
≪己の道が『正しいか正しくないか』じゃない。己の道を『信じるか信じないか』だ≫
某全国チェーンのインターネットカフェ。
久し振りに寛いで見る。
スペースの都合でオットマン付きのソファを自宅に設置する夢が破れた今、こういう所でないと『寛ぐ』という事が出来ない現状を儚みながら俺は山積みにした漫画の一角を切り崩す作業を再開した。
…何て言えば様になるけど、ぶっちゃけ暇潰しにネカフェに入って寛いでいますって言うことだ。
隣で普段は掛けないメガネをして千秋がカタカタとキーボードを打ち、【咎隠村】について検索をしていた。何か良い情報が引っかからないかと祈っているわけだが、現実、そうも行くまい。
「うー、まったく持って検索に引っかからないねぇ…。何か良い情報でもあればそれなりに準備できるのになぁ」ボブカットの髪を掻き揚げ、眉間にしわを寄せ、残念そうに千秋がぼやく。
「まぁ、仕方ないじゃないの?皆川のネタだからなぁ。きっちりした確証の在るネタってわけじゃないと思うぞ。検索に引っかかるくらいだったら皆川は行動を起こさないさ」俺は漫画を置き、立ち上がって背伸びをしてから冷静に皆川との短い付き合いの中で皆川と言う男を分析した結果を述べてみた。
「…ふぅん。まぁ、いっか」キーボードから手を放し、「それにしても、こー君、おなか減ったゾ」と憧れのオットマン付きソファに沈み込みながら千秋が俺を見上げた。大きな目と長い睫が愛らしい、ほんとこんないい女が俺の彼女でいいものなんだろうか?
「確かに腹が減ったな」時計を見ると0時を回ったところだ。俺はソファの背凭れに肘を付きながら千秋のディスプレイをぼんやりと眺めた。文字の羅列。これと言った情報が無い。
「何を頼むよ?」俺はメニュー表を見て千秋に尋ねる。
「ハンバーグ定食が750円。高くない?」千秋が不満げに声を上げる。
「まぁな、びっくりコーラ頼んだほうがマシかも知れんな」
結局、俺達はネカフェを後にして美味いものを喰いに出かける事にした。ご飯を食べる時はなるべくおいしいものを食す。それが俺と千秋のルールだ。出すお金が同じならおいしいほうが良いじゃないか。
「あのさぁ、こー君。おいしい店知ってるの?」ネカフェを後にして歩く事4分、俺の前を歩く千秋が唐突に立ち止まった。
「知らん」短く簡潔に。
げしっ。軽やかな千秋のチョップが俺の脳天を直撃した。
「う…」あまりの痛さに俺は思わず頭を抱えて蹲る(うずくまる)。
「あのねー、知らないなら知らないで検索かけてからネカフェ出ようよー」頬を膨らませて抗議をする。
「うむ…、何か、こう、勢いだ」俺は涙目で千秋を見上げてそう言った。
「まぁ、豚の餌すらもう閉まるんじゃない?」M字の黄色い看板を指差して千秋は溜め息を吐く。
「まぁ、アレは二度と喰わん。もう良い。学生時代に皆川のネタに付き合った時に死ぬほど喰ったからな…」忌まわしい記憶が脳裏を過ぎった。
「皆川君って今回のネタの発案者?そんな昔からの付き合いなんだ?」驚いたように千秋がリアクションする。
「何だ?俺が昔の友人とつるんでいるのがそんなに不思議か?」一体、どんなイメージで見られているんだろう…。少々不安になってきた。
「いやぁ、こー君ってさ、こう、要らなくなったら切り捨てるっぽいじゃん」
まてまて、何処からそんな冷徹なイメージが沸いてくるんだろうか。
「俺ってそんなイメージなのか」俺は千秋を睨む。
「うん」にっこり笑って即答された。ああ、救われないな、俺。
思い出せば、そう遠くも無い過去。
今となっては現実に埋もれてしまって思い出す事すら侭(まま)ならないが、時々は思い出して懐かしんでみたりもする。思い出って奴はそんな物なのかもしれないが、皆川がからむと一生忘れられない出来事(トラウマ)になる確立がとてつもなく大きい。
その日、何故か皆川の家に集まる事になっていた。
あー、理由は忘れた。
多分下らない事だ、絶対。
皆川の家に着き、ガレージ兼皆川の部屋のシャッターを開け、皆川の部屋に続く急勾配の階段を上がる。
階段には『有名タイマー付き製品』を高値で売っている会社の一世を風靡した某有名ゲーム機が2、3個放置され、今はハードすら作って居ないSE○Aの惑星の名を冠した32Bit機もついでに転がっていた。
表現するならば『混沌』の二文字が一番皆川の部屋を表現するに適当だと俺は思う。ま、そんな混沌が鏤められた階段を上って皆川の部屋に入るわけだ。
部屋に入ると階段より混沌の密度が増す。足元に転がる大量のゲーム機。ファミ○ンから始まり、ディ○クシステム、ツインファ○コン、メガ○ライブ、メ○CD、32○、PC○ンジン、コ○グラ、3D○…まったくもって凄い、一台持って帰っても分からないんじゃないかと思う。
「よー」俺はそれらの物体を踏まないようにして、部屋の奥でNE○・GEOをやっている皆川に声をかけた。
「よー、高塚ぁ、よく来たな」画面から目を離さずに皆川が挨拶する。
「他の連中は?」俺は部屋の中をぐるりと見回してから聞いてみた。
「んー、買出し」皆川が短く答える。
「やれやれ。んで、今日は何の集まりだ?」俺は座るところが無いので仕方なしに皆川のベッドに腰を下ろす。
「後になれば分かる。ま、奴らが来るまで対戦でもしようぜ」皆川はそう言うと俺にコントローラーを投げてよこす。まぁ手持ち無沙汰だったので皆川の言うままにゲームを始める。
ほとんど皆川の勝利で対戦は進んだ。しばらくして、尾崎と藤宮、雛木がまとまって現れる。それから少し遅れて史人が皆川の部屋に転がり込んできた。
「うし、みんな集まったな」ゲームとテレビの電源を落とし、満足げに皆川は全員を見渡す。買出し部隊に買ってこさせたタバコを開け、銜える。ポケットからもそもそとZippoを取り出し、キンッと音を立てて銜えたタバコに火を点け、満足げに煙を吐き出す。結構様になっている辺りが皆川だ。
「つうわけで、ハンバーガーを買い占めに行くぞ」
皆川がタバコの煙を勢い良く吐き出しながら何の前触れも無く、唐突に意味不明かつとんでもない事を言い出した。買い占めって尋常じゃないだろ。
と言うか、それ以前に話に脈絡が無い。それで居て言い切る辺りが皆川らしいのだが。
「は?」
俺と藤宮、尾崎、史人、元皆川の彼女、雛木は声を揃えて皆川の発言に『?』を抱いた。
寧ろ、ここで疑問を抱かないほうがおかしいと言える。ああ、俺は正常だ。
「いや、ほれ。今日から豚の餌58円だろ、皆で100個くらい頼んでみないか?こう言うネタ、時期モノだからさぁ。そして、5800円でお腹一杯だ。満足行くと思うぞ?」皆川はケラケラと笑いながら皆に説明をする。
「もしかして、豚の餌ってM字の黄色い看板か?」俺が突っ込みを入れる。
「それ以外に在るのかよ」『こいつ、莫迦か?』という表情をされ、軽く返される。すげぇむかつく。この男にこう言う返し方をされると…こう、殺意が湧き上がるのは俺だけじゃないだろう。
「皆川さん、無茶言い過ぎ。俺、財布に400円しかないですよ」史人が財布を全開にして皆川に見せる。
皆川は少し沈黙し、それなりに熟考した後に「細かい事は気にするなって史ちゃん。それくらい俺がもってやるさ」史人の意見は簡単に一蹴された。
「ってか、一人20個近く喰わないといけないんだよな…。お腹一杯と言う以前にトラウマになるだろ、それ」藤宮が冷静に突っ込みを入れる。
「喰いたくなければ配ればいい」皆川はその意見も却下した。
-独裁者か、こいつ。
「200個にしません?」尾崎が妙な茶々を入れる。
「それ良いな」皆川は手を打って、尾崎を指差した。なんて言うか皆川と尾崎が混じり合うともう無茶苦茶だ。誰か止めてくれ。
「11800円÷6か。一人頭、約1960円か」…ふむ、人数をもう少し増やせばまともに食べられるな。冷静に考えている自分が悔しい。
三枝や草木さんを召喚しようかと携帯電話に手をかけるが、これ以上『混沌の素』を現実に振りかけてもおいしくない上に収拾が付かないし、被害が拡大しそうなので、俺は携帯をそそくさと仕舞った。
「まったく、食べ物を粗末にしちゃだめだよ」雛木はそう言うと『めっ』と、小さな子供を叱るように皆川にジェスチャーした。
皆川はウザったそうに頭を掻くと、軽く雛木を抱き締めて耳元で何かを囁く。…と、雛木はくるりと俺達を振り返り「楽しみだね」と満面の笑顔を見せた。
こういうとき、絶対に何か良くない事が起こるのだが、ここまで巻き込まれた以上はもはやどうしようもない。
長いものには巻かれろ、と言う事で俺は素直にさっさと巻かれることにする。
うん、それが一番だ。
「ま、そう言う事でマ…っと。あぶね。豚の餌を買占めに行くぜぃ」皆川はノリノリだ。本当に、こうなった皆川を誰も止めることは出来ない。止めても良いけど後から災厄が降りかかるから誰も何もしない。
こうしてハンバーガー200個注文と言う皆川のネタは始まり、問答無用で全員参加。金が無いと言っていた史人に関しても無理矢理金を借りさせられてハンバーガーを買う羽目になった。哀れ、史人。
某ハンバーガーショップにクルマ3台、人間6人で押しかけ、0円のスマイルをくれるバイトの女の子に「あー、ハンバーガー200個」と冷静且つ沈着に注文を入れている俺もまたぶっ壊れているのかもしれない。
ってか、何で俺が注文しているんだよ、納得いかねぇ。
「は、…はい?」笑顔が引きつっている、そんなんじゃ接客業出来ないぞ、おねーちゃん。まぁ、わからないでもないけどさぁ。人間、理解を超えた現実にぶち当たると思考が停止するものな。
俺はこう、哀れみを覚えつつ、もう一度「ハンバーガー200個お願いします」と繰り返した。俺の後ろで『ちっ』と言う皆川の舌打ちが聞こえた。頼むからおねーちゃんさっさと注文聞いて作ってくれ…。皆川がハンバーガー300個とか言い出す前に。
「は、ハンバーガー200個ですね。し、しばらくお待ちください」そう言うと脱兎の如く(上司に相談でもしに行くのだろう)店舗の奥へ姿を隠すおねーちゃん。
なにやら話し声が聞こえてくるが、それを無視する。聞こえた事を皆川に話したところで何か解決するわけでもないし。多分、状況が悪化するだけだ。
しばらくして店長らしきおっさんが満面の笑みで出てくる。はっきり言って胡散臭いから止めておけ。そもそも目が笑っていないぞ…。
「えぇと、ハンバーガー200個ですね。レジスターの都合上、50個毎の清算になりますが…」揉み手をしながらおっさんがてめぇの都合を述べている。どうでもいいから聞き流す。
「50個毎で清算させて頂いても宜しかったでしょうか?」
「構いませんよ」俺はそんなことよりこの状況を早く終わらせたかったのでサラッと承諾する。
「面倒だな、オイ」皆川が不機嫌そうに舌を打つ。
「2900円が4点なので11600円になります」と言い、俺が丁度11600円を財布から取り出し渡す。
「番号札23番でしばらくお待ちください」しゃがれた声でそう言うと店長らしきおっさんは俺に23番と印字された黄色い札を手渡してくれた。
皆からかき集めた11600円を出す。レシートを4枚束にしてくれるその手が震えている事を見逃さなかったが、まぁ、そんなものだろう。
それを受け取り、店の一角を占拠する6人。
「つーか、どれだけ待てば良いんだろ?」皆川は外の風景を見ながらつまらなさそうに呟いた。
「まー、200個だからなぁ。結構かかるんでない?」藤宮がLサイズのコーラを飲みながら反応する。
「それもそうだな」皆川はポケットから店に入って5本目のタバコを取り出し銜えた。
「タバコ、吸い過ぎ。健康に良くないよ」雛木が皆川の銜えていたタバコを取り上げると二つに折り曲げた。
「あ…、もったいないな」皆川が呟いた。
「命を削るほうがもったいないよ!」雛木は腰に左手を当てて皆川の眼の前で右手の人差し指を立てて、説教を始める。
…長閑だねぇ。俺はそんな日常的な風景を眺めながら、現実から逃避すべく意識を何処か遠くに飛ばした。
何事も無く待つ事数分でレジのおねーちゃんの手で最初のハンバーガーが俺達の元に届けられた。その数、20個。20個の包み紙がピラミッドのようにして綺麗に整列し、トレイに載せられている。こう、頭の悪い光景だ。
「…結構かかるな?」皆川が60個目のハンバーガーのピラミッドが届けられた時に不満そうに呟いた。
「当たり前だ」思わず、皆川に突っ込む。皆川はぐてーっとだらしなくテーブルに突っ伏すとしばらく思考した後「ふむ。暇だな。ジャンケンで負けた奴が残りを待つって言うのはどうよ?」と眼を輝かせて起き上がった。まったく、とんでもない提案を持ちかける奴だ。
「まてまて、そんなことして何になる」俺は皆川の意見を全否定する。ってか、負けたらたまったものじゃない、店員からの冷たい視線を一身に受け残りのハンバーガーが出てくるまでの虚しい時間を過ごさなくてはいけないのだ。それだけは、絶対に厭だ!
「むう、仕方ないな。でかいピラミッドでも作ってみるか?」皆川はそう言うと目の前にある60個のハンバーガーをピラミッド上に組み上げはじめた。2人掛けのテーブルを3つ占拠してピラミッドを作っていく。
『基礎』に100個ほどハンバーガーを使う予定みたいだ、皆川は。てか、エジプトのピラミッドと言うよりはメキシコに在る【テオティワカン】の【太陽のピラミッド】を模したものを作るつもりらしい。
相変わらずマニアックな男だ…。わかる俺もどうかと思うが、この際皆川だけを変態にしておくのがベストな選択であろう。
結局1時間30分待って200個のハンバーガーが手元に届く。全てのハンバーガーを積み上げて皆川は満足げに笑う。
「なぁ?写真とって置こうぜ」皆川はそう言うと携帯電話に付属しているカメラでハンバーガーピラミッドを収めた。
「で、これ喰うのか」うんざりとした表情で藤宮がピラミッドを指差す。
「58円にしてはおいしいですよ」尾崎は既に喰いに走っている。
「何個喰えるかなー」史人が口一杯にハンバーガーを押し込みガツガツと咀嚼(そしゃく)する。
「結構、お腹膨れるね」雛木は雛木で既に4つハンバーガーを食べ終わっている。いつの間に食べたんだ、この女。
それにしても、ここは大食い大会の会場なんだろうか。冷静な突込みを入れれず仕舞いで俺は現実を見つめていた。
「高塚もさっさと喰え」皆川が俺の前にハンバーガーの塔を押し付ける。
「おい、こんなに喰えるか」俺は押し付けられたハンバーガーの塔を見てげんなりした。20個ほどで構成されたハンバーガータワーは見ているだけで腹が膨れてしまう。1個1個が小さくてもここまで積みあがるともう、なんと言うか別の存在だ。
「ってか、根性で喰え」皆川は両手にハンバーガーを持ち、交互に喰っている。行儀が悪い以前に、何か悪い夢でも見ているようだ。
「まー、いっぺんこんな食べ方をしてみたかったんだよ。『未来少年コナン』みたいにさ」また、こう、マニアックな話題だ。皆川の思考回路がどう作られているのか開いて見てみたいものだ。まったく、こういう『独自基盤』で作られた思考回路は手におえんな。くそっ。
まぁ、量は兎も角、目の前のハンバーガーだ。これをどうにかして処理しないといけないわけだ…20個か。喰えない事はないだろう。
俺も皆川を見習って、コナン食いをはじめる。取り敢えず最初の2個は簡単に胃袋に収まった。次、3個・4個。これも軽く喰えてしまう。
「ってか、皆、今何個目だ?」現状を把握する為、皆にどれだけ食べたのか聞いてみた。
「んー、12個」藤宮がサクッと12個とか言いやがる。その痩せた身体の何処に12個収まる場所が在るのだろうか、まったく。
「今15個目ですね。まだ、いけそうですよ」尾崎が16個目のハンバーガーの包みを開きながら答えた。
「僕も15個っすね」史人もまだまだ余裕がありそうだ。
「あー、お腹一杯」雛木はそう言うと丁寧に折り曲げられた包みを数えはじめた。そして「8個でギブ」と言って舌を出して笑う。まぁ、女の子だし仕方あるまい。
「…ふ、20個突破ぁ」皆川はその両手にハンバーガーを持ちつつ答え、「ってか、既にこれ、ハンバーガーじゃないよなぁ」と皆川は手に持った2個じっと見つめてから、それらを綺麗に平らげるとコーラに口をつけて流し込んだ。
「ん?どういうことだ?」俺は14個目を喰いながら皆川の意見に耳を傾ける。少しの沈黙の後。
「いや、『ケチャップパン』って正にコレを表す名前じゃないか?」
皆川はこう、『明鏡止水』の境地に立った武道の達人の如く、神妙な顔で静かにその名を告げた。
なんつーか、こう、すげぇ的確な名前を口にする皆川。
雛木が「…バカ?」と言う冷静なコメントをし、尾崎が涙目でケチャップパンを頬張って咽(むせ)、史人が大口を開けて凍り付き、「ぶっ」藤宮が思わずコーラを吹き出しそうになっている。
俺はただ「ケチャップパン…」と呟き。こう、本当にトラウマになりつつ後世まで語り継がれるであろう皆川銘の『ケチャップパン』と言う新たな名前を携えたソレを俺は30個目指して口の中に押し込んだ。
気が付けばテオティワカンのピラミッドは瓦解しており、『ケチャップパン』は残り僅かになっていた。
でも、もう二度と『ケチャップパン』を食べようと思う事はないだろう。と言うか金を積まれても俺は口にしないだろう、多分。
気になる、戦績は。
皆川が言い出した責任と言うか…35個も喰って堂々の一位。
史人が貧乏人の意地で34個と皆川に僅差で二位。
藤宮が何処にそれだけ押し込んだのだろうか33個喰って三位。
俺も割と奮闘して、…32個と言うかもう喰わんぞ、絶対。うっぷ。
尾崎が上位から離されて28個。
雛木はまぁ、女の子ということもあって11個、そんなもんだろう。
もう、本当にお腹一杯だ。残った27個は道行く中学生に配った。雛木が色気たっぷりで中学生にハンバーガーを配るのを俺達はクルマの中から見ていた。
訝しげな顔をして中学生達はハンバーガーを持っていった。まぁ、俺でもこんな風にハンバーガーを配られたらそーゆー顔をすると思うよ。うん。
「そういう事だから、俺はもうアレは喰わない」千秋ににっこりと笑って俺はそう言った。
「ぷぷっ、あははははははは。最高だね。その俺様君」千秋は腹を抱えて蹲る。おいこら、そんなにも面白い話だったか?当事者の俺にとってはすっげー、ほろ苦い思ひ出なんだけど。
「そんなに面白いかよ…」少し拗ねたように尋ねる。
「うん、是非その俺様君に会ってみたいわ。…っぷぷ」吹き出しそうなのを我慢しながら千秋は目尻に溜まった涙を人差し指で拭った。泣くほど面白いことなのかよ?
そこまで笑われると被害者として非常にむかつくわけなんだけど。
「取り敢えず、ご飯にしようか」俺はファミレスを指差して言った。
「ここはトラウマは無いのかな?」にやにやと千秋は笑って俺の手を引く。
「ねぇよ」
そうそうトラウマがあちこちに点在していてたまるか。くそっ、生きていくのが厭になるだろう…。
「…よぉ」俺は電話の向こうから聞こえてくる友人の声に懐かしさの入り混じった安堵を覚えた。
「今、長野に居るんだけど、お前も来るか?」来ないとわかっていても誘ってみる、何かの役に立つかもしれないからな。
「は?長野ぉ?」素っ頓狂な声を上げてから「うーん、3日までバイトだからな」行きたいけど、行けないというニュアンスだと俺は取る。
「ふむ、じゃぁ、3日のバイト明けにでも、こっちに来いよ」無理矢理にでも参加させようと目論む。人数が多いほうがこういうものは面白い。
「はぁ…、うぃうぃ。了解だ」半分諦めた感じで、割とすんなりと参加する事になる。
「まぁ、こっちのほうに着いたら電話くれよ」
「了解」そう言って電話が切れる。
薄暗い部屋。
ソファに座り、何をするでもなく天井を見上げる。
ベッドを見れば完全に寝入ったのか呼吸に合わせて上下するタオルケット。まったく、何をしているんだろうな、俺。
携帯電話の明かりだけがぼやーっと俺の手のまわりを照らし出している。
「暢気(のんき)なものだな」俺はすやすやと眠るベッドの上の物体を見つめた。正直、普通の人間は、ほぼ初対面の人間と一緒では幾ら眠いからといっても眠れたものじゃないからな。ソファの前に置かれた可愛らしいテーブルの上にあるタバコを取り、銜える。
明日からどう動こうか。
今俺の頭にあるのは、【咎隠村】探索の件だけだ。現時点で【鬼無里村】から【咎隠村】に行く予定で居るが、ハッキリ言って地理感が全くない。果たして【鬼無里村】から【咎隠村】に行けるのかどうかも疑わしい。きちんとした地図を買って、情報をまとめた上で行動すれば良いのかもしれないが、現実、ここまで来た以上は行き当たりばったりでも前に進まないとどうしようもないわけで…。冷静に考えれば考えるだけドツボにはまっていく。
と、言うわけで、『何とかなるさ…いや、なるようにしかならないか』と思うようにする。そうすれば少しだけだが気が楽になった。
それはそうと【鬼無里村】にも興味深い伝承が在る。鬼女【紅葉】の伝説だ。能に【紅葉狩り】というものが在る。鬼女【紅葉】はその能に登場する人物だ。詳しい伝承は資料にあるので、後で読む事にしよう。
さて、【鬼無里村】は【紅葉狩り】に登場する鬼女【紅葉】が隠れ住んで居たとされる村なのだ。このようにして後世に残る伝承は往々にして史実である事が多い。怪しげな術を使ったり鬼が出てきたりするわけだけど、そう言ったものは畏怖の現われだろうから、何かしら特化した人間がその時代に生きていたと想定されるわけだ。
まぁ、こういうローカルなネタは各地に似たような伝承があったりするのだが、能にまでなっている伝承はなかなか無い。
【かごめかごめ】に関しては、諸説が入り乱れ、全国各地に伝播している。全国各地に様々な歌詞が残されているところを見ると、【かごめかごめ】が単調な音程で、口伝えが容易だった事と考えられる。
口伝えだからこそ、地域や時代ごとに歌詞が増えたり変化したりしているのだろうと推測できる。
【かごめかごめ】の原形を【地蔵憑け】と仮定して、そのルーツを辿る事によって、時代背景やその土地の背景を浮き彫りにする事が出来るかもしれない。希望的観測であって実際出来るわけじゃないのだけどな。
鬼女【紅葉】が地蔵菩薩を信仰していたらしい事を考えれば、【地蔵憑け】の発祥地を【戸隠村】もしくは【鬼無里村】として考えられる。
しかしながら、都から落ち延びてきた鬼女【紅葉】がそんな普通の里に住むだろうか?
冷静に考えて、普通落ち延びた人間が見つかりやすい場所に住むとは到底考えられない。やはり、俺としては【咎隠村】と言う場所に鬼女【紅葉】が隠れ住んだと仮説として打ち立てることにしよう。
密接した地域での信仰対象の重複(【戸隠村】・【鬼無里村】における鬼女【紅葉】による地蔵信仰)となれば、【かごめかごめ】をキィとしてその源流を辿れば【咎隠村】に行き着くのではないだろうか?
カムイがサイトで記述していた【かごめかごめ】が【咎隠村】に行く為に必要だと言う意味の答えは、もしかしたら今俺が考えていた事なのかもしれない。
出かける前に検索し、プリントアウトした資料を鞄から取り出し、目を通す。簡単な検索しかしてこなかった為、情報量としては薄い。明日、高塚か三枝に頼んでこの薄っぺらな資料を充実させたほうが良いだろう。【鬼無里村】に【咎隠村】に関する何かが残っている可能性もかなり大きいのだから。
結局は実地調査しかないわけだけど。ホント、なるようにしかならないか。
夜も白み始める時間。
いつの間にかこんなに時間が経過しているんだろうか?
頭の回転が鈍ってきたのでシャワーを浴びる。昨日一日が割とハードだったので湯船に浸かり疲れを落とす。
最近のラブホテルは割としっかりと作ってある事に少し驚きながら、これならビジネスホテルに泊まるよりも良いかもしれないと思った。
まぁ、バスルームがガラス張りというのはかなり頂けないのだが…。
ベッドに目をやるが相も変わらず眠っているようだ。まぁ、起きてこられても問題なんだが、今くらいは平和に風呂に入りたいものだ。
右腕にはめたGショックを見れば5時28分。寝るか起きているか悩む時間ではある。眠ったとしても3時間眠れるかどうかというところか。
湯船から這い出して、熱めのシャワーを浴びる。備え付けのシャンプーで髪を洗い、ボディソープで身体を洗う。
まるで、戦闘準備だ。
…しないけどさ。
バスルームから出て、身体を拭き、備え付けのバスローブを羽織ってベッドに潜り込む。隣で寝ているヤツが気にはなるが、致し方あるまい。ベッドもタオルケットも一組しかないのだから。
割と気の抜けた表情で眠っている呉葉を見ると、こちらも気が抜けてくるのだが。さっき、いとも簡単に罠に嵌められたので気を引き締める。寝込みを襲われる可能性だってあるのだし、この女なら俺の身包みを剥いでラブホに置き去りにしていくって事も普通に選択肢に入っているだろうからな。
…いつの間に意識を失っていたのだろうか、水音で目を覚ます。
ハっとなって起き上がりバスルームを見れば呉葉が全裸でシャワーを浴びているのが見えた。(まぁ、シャワーを浴びているのだから全裸なのは当たり前なのだが)
取り敢えず観察してみる。
小振りだが形の良いバストと引き締まったウエスト、そしてツンと跳ね上がった形の良い尻。スタイルはそこいらに居る女じゃ敵わないだろうな。あまりにも整い過ぎていて見惚れてしまう。
ふと、呉葉と目が合う。呉葉はギョッとした顔をしてすぐに胸を右手で隠して、俺を睨んだ。女の子チックな挙動である。
「………!!!」なにやら叫んでいるのだが、なにぶんガラスに隔てられ、シャワーの水音もする。呉葉が何を言っているのかなんて理解できない。仕方ないのでバスルームに向かう。
「ぎゃー、何しに来るのよ。このスケベ」シャワーを俺に向け思いっきりお湯をかけられる。
「うおっ、何しやがる」お湯をぶっかけられて頭から爪先までずぶ濡れになってしまった。
「ひどいな。呉葉が何を言っているかわからなかったから聞きに来ただけじゃないか」俺はシャワーのお湯を左手で防ぎつつ呉葉の肢体を見た。近くで見る呉葉の身体は遠くから見るよりも艶かしく、身体に残った水滴が妙にエロっぽかった。胸を隠していたが、うまく隠し切れていない。いいものを拝ませて頂きました。脳裏に焼き付けさせて頂きます。
「『見ないでよ!!!』って叫んだのよ。まったく。このエロオヤジ」いつの間に張ったのだろう、割と熱めの湯が張られた湯船に身を隠す呉葉。
「ふう、オヤジは無いだろ…26歳だぞ、俺」溜め息を混じらせつつ呉葉の顔を見つめる。心なしか真っ赤になった呉葉は昨日闇の中で見た呉葉に比べてとても可愛らしく見えた。
「え、26なの?あたしとそんなに変わらないじゃん」呉葉は少し驚いた表情で俺を見ている。
「ん、呉葉はいくつなんだ?」
「23」短く呉葉が答える。
「かわらねーな、おばさん」にっかり笑うと湯船のお湯を思いっきりぶっ掛けられた。
「女性に向かってそーゆー言い方はないでしょ」呉葉は可愛らしく、頬を膨らませて見せた。
取り敢えずお湯で濡れてしまった浴衣を脱ぎ捨て、バスルームに入る。パンツは履いている、安心しろ。
「あのさぁ、何で入ってくるのよ…」困った表情を浮かべ俺を見上げる。
「ん、濡れたし、髪もぐしゃぐしゃだからな。シャワーを浴びたい」そう言うと俺は呉葉の手から離れ、タイルの床をのた打ち回るシャワーの鎌首を捕まえた。
「もー」呉葉の視線が何処に向かっているのか微妙に悩むところだが、まぁ下着もつけているし、問題は無いだろう。頭から豪快にシャワーを浴びる。
「ねぇ、ゆたか?」呉葉が真剣な声で俺に声をかける。
「ん?どうした?」俺はシャワーを止め、湯船に入る。
「ぎゃー。何で入ってくるのよ!!!」呉葉は湯船から逃げようとするが後ろから抱き締める形で捕まえる。
「な、なにするのよ…」声が上ずっている。そして呉葉の背中越しに鼓動が伝わってくる。
「何もしないさ。ま、ちゃんと肩まで浸かろうぜ」呉葉を抱き締めたまま湯船に沈み込む。滑々とした感触を前身で味わう。
「あのねぇ、何もしないっていいながら何か硬いのが、お尻に当たってるんだけど?」上ずった声で呉葉が言う。
「仕方ないじゃん。明るいところで見ると、呉葉が思った以上に可愛いし、スタイルもいいからねぇ。勃たないほうがおかしいぞ」俺は指摘を全く気にせずに、肩からぎゅっと呉葉を包むように抱き締める。思ったより華奢な呉葉の身体に少し戸惑ったが、こういうのもいいなぁと思う。
「あのねぇ…」呉葉は意外にも俺の腕を解こうとしない、もはや諦めた感じで呉葉は俺に身を委ねてきた。意外とこういうシチュエーションに弱いかもしれない。呉葉の髪から香るシャンプーは俺と同じ物を使っているにも関わらず、どうしてこんなに興奮してしまうんだろうか。
「それでさ、さっき何を聞こうとしたんだ?」俺は呉葉の耳元で尋ねた。
「ん…。なんだったかな。忘れちゃった…」呉葉は本当に忘れたのか、それともしらばっくれたのかわからないが、小さく答えた。
しばらく二人で湯船に浸かり、のぼせる前にバスルームを後にする。
服を着て、TVを点ける。
適当にチャンネルを変え、流れているTVの話題で談笑する。
腹時計が鳴き出したので、食料調達に出かけることにした。
高塚と三枝に連絡を入れないとな…。後は【鬼無里村】についての情報を漁らないといけない。
時計はもうすぐ9時。午前中の間に終わらせてしまいたいが、泣き続けている腹の虫を押さえる事が先決だ。俺と呉葉は一泊4800円のラブホテルを後にした。