ledcannon’s diary

美作古書店

櫻ノ海 四章

櫻ノ海

 

―四章―

 

惨劇-さんげき-

 

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第四話

 

始り-終焉の宴-。

 

 

夕闇が迫る。時計は16時を指した。まともそうな建物を探して歩く。どれもこれも粗末な造りで星霜から来る劣化には敵わないようだ。俺と呉葉は身を休ませることの出来る場所を探して歩いた。

大概の家は腐り、傾いていた。こんな中からまともなものを探し当てるなんて不可能に近いだろう。呉葉は20棟ほど在る家の残骸を横目に、最奥にある家を目指す。他の家々から比べると大きめの造りで、社殿建築で建てられていた。この家自体で何かの祀事を執り行ったと予想できる。

家本体は崩れかかっていたが、土蔵はまだその形を残していた。漆喰は随分と剥がれ落ちて居はいたが雨露は凌げそうだ。

「此処が長の家だった。」呉葉はそう言うと土蔵の閂に手を掛けた。

「へぇ…」俺は潰れかかった家をまじまじと見る。社殿建築を色濃く表すその家は神社さながらの風格をその身で著していた。

「開いたわよ。」木製の閂をがこんっと地面に下ろすと、呉葉は扉を開いた。

「開くものなのか…」俺は半ば呆れて呉葉を見る。

「開くものでしょ」然も当然と言う表情で呉葉は「入るわよ」と短く言って、暗闇に身を投じた。呉葉が行くなら俺も行かねばなるまい。呉葉の後に続き土蔵の中へと進む。土蔵の中は多分、使われていた当時のままなのだろう。農機具や調度品が所狭しと並べられていた。無論、放置されていた所為で、土蔵の中は蜘蛛の巣と埃にまみれていて、迂闊に先に進むと蜘蛛の巣模様のプリントを全身に纏う羽目になるわけだ。調度品に目を移せば、骨董に興味があればそれなりに価値の有るものを見出せたのではないかと思うのだが、生憎俺にはそんな高尚な趣味など無く、ただ呉葉の背中を追うだけだった。

「明り取りの窓を探すから」呉葉はそう言うと俺からSuper-LEDのライトを引っ手繰った。奥に階段があり、俺達は団子状態で上る。

多分3階位の高さに相当する場所に窓を見つけ、それを開ける。重苦しい音を立てて、締め切られていた明り取りの窓が開け放たれる。

「ふう、取り敢えず今晩は此処に泊まる事になりそうね」呉葉は外を眺めて独り言のように言った。

「…だな」俺も呉葉のシルエットの向こうに広がる夕焼け空を見て同意した。この時間から今来た道を戻るのはあまりにも危険だと思った。

 

 

 

 

「やれやれ、リョータ。此処で良いのかよ?」隣で眠る男に声を掛ける。伸びをして、リョータと呼ばれた男がむっくりと起き上がる。

「よー、継寛」リョータは継寛の姿を確認すると、地図とナビを見比べる。

「此処で良いみたいだな」ナビの画面には戸隠神社と表示されており、自分の位置を示すビーコンが点滅してた。

「まったく、仕事明けに何をさせるんだよ」継寛は欠伸を噛み殺して窓を開けた。空が青く、遠く広がっていた。

「仕方ないだろ、俺もこっちに帰ってきてからほとんど眠ってないんだからさ」リョータはそう言うと、「とっとと、クルマを停めて先を急ごうぜ」と継寛を急かした。

「ういよ」継寛は短く答えると、リョータのRVRを駐車場まで走らせた。それから荷物を降ろし、二人は戸隠山に向うのだった。

 

「つーか継寛、俺、どのくらい寝てた?」リョータ随身門を潜った辺りで尋ねる。

「んー、新潟を過ぎた辺りからか」早朝の道に二人の足音だけが木霊する。

「結構寝てたんだなぁ」リョータは軽く頭を振って、首から提げた携帯電話を見る。電波はまだ4本立っていて通話は可能領域だった。電話が繋がるかどうかは非常に疑わしかったが、皆川に電話を掛ける。案の定『電波の届かないところに居られるか~』と言うアナウンスがスピーカーから流れ出した。

「あー、やっぱ通じないね」通話終了ボタンを押すと、携帯を放り投げた。ま、首からぶら下げているので落ちることは無く、リョータの胸元で携帯は踊っていた。

「ふう、いつもの事ながら苦労が絶えないな」溜め息混じりに継寛がボヤキを漏らした。

「まったくだ。あいつ、今頃どこまで登ってんだろ」リョータ修験道の山を見上げて呟いた。

「あいつの事だ。飽きて、帰ってたりしてな」クックックと笑いを堪えながら継寛が笑った。

「確かに在り得るな」リョータもつられて笑い出す。すっと、笑みを引かせて、「まぁ、三枝さんや高塚さんも居るわけだから託(ことづけ)もなしに帰るって事は無いと思うけど」と継寛を振り返った。

「まー、そうだと良いけど」外人のように肩を竦めて継寛は笑う。

「もうすぐ登山口か。立山に比べたら楽だろ」リョータが根拠の無い発言をする。

「そうなのか?」継寛が怪訝な表情を浮かべる。

「標高低いし」リョータがあっけらかんと言う。

「…まぁ、そう言う事にしとくよ」継寛はそう呟いた。

 

 

無言になってからどれくらいの時間になるんだろうか。継寛は左腕にはめたスウォッチを覗き込んだ。時計は7時と25分位を指している。登り始めたのが大体6時過ぎだったから、割と歩いてきたことになる。リョータは悠然と歩いており、『鈍った』と連呼していたのが嘘のようだ。

リョータ、一旦休憩にしないか?」継寛はそう言うとリョータの真後ろまで駆け寄った。

「ああ、そうだなぁ」リョータはそう言うと、「あそこまで登ってからにしよう」と先に見える手頃な岩を指差した。確かにあそこまで登れば岩に腰掛けて楽が出来そうな感じだ。

「ういよ」リョータの言葉に従うと、目的の岩までゆったりと歩く。地図を見ればもう少しで難所【蟻の塔渡】だ。それを前に休むことが出来て良かったと胸を撫で下ろす。

「ってか、まだまだ先っぽいな」リョータが地図を見る。

高妻山から下って行くんだっけ?」クルマの中でリョータが話していたことを思い出し、継寛が尋ねた。

「そうそう。ってか、皆川め。たったコレだけしかヒントが無いってどういうことだよ」リョータは継寛に皆川から送られて来たメールを見せた。

 

『今から戸隠山に入ります。これから先は多分圏外になっちゃうので連絡できないと思うんだけど、まぁ気にしないでくれ。

取り敢えず、俺達は一晩キャンプするのを前提で進むことにする。【咎隠村】で合流できれば御の字だな。目標地は例のサイトの通りの場所。高妻山から下るルートを取るわ。

良太、死なないようにしろよ。

んじゃ、後で合流できることを祈って。

 

To 皆川 裕

2006年5月3日午後1時46分』

 

「マジか、コレ」半ば呆れて継寛はそのメールを読み終えた。

「マジだよ。というか、いつもの事じゃん」リョータは苦笑して携帯を元の位置に戻した。それから背負っていたリュックサックを下ろすと、中から2リットルのペットボトルの取り出して封を切った。ゴクゴクと喉を鳴らしてリョータはうまそうに水を飲んだ。

「うまそうに飲むなぁ」継寛は苦笑しつつ自分のリュックサックからスポーツドリンクを取り出して、飲んだ。

「さて、そろそろ行くか」リョータは腰に手を当て、眼を細めて、行く先を見据える。何なんだ、そのポージングは…。何か意味が在るんだろうか。継寛はスポーツドリンクを体内に流し込みながら冷静に分析していたが、あえて口に出さなかった。

「ほいじゃ、ボチボチ行きますか」だるそうに背伸びをすると継寛は立ち上がる。リョータは既にリュックサックを背負っていつでも歩き出せる状態で待機していた。継寛もサッとリュックサックを担ぐと道の先を眺めた。

「一体、後どれだけ掛かるんだろうね」肩を竦めて継寛は笑った。

「さぁねぇ?」リョータは軽く流す。

「取り敢えずは進むしかないってわけだ」

「そういう事だね」

「皆川も暇な奴だよなぁ。わざわざこんな所まで来なくても登る山なら幾らでも在るのにな」空を仰ぐ。スカイブルーがのっぺりと塗りたくられた空。長閑と言うか、何と言うか。

「お、継寛。そろそろ難所と言われてる【蟻の塔渡】だぞ」リョータは目の前にある岩屏風を指差した。

「ほう、これがそうなのか」継寛は恐れもせずにその刃のような頂きに足を掛けた。

「ちょっと、まて」リョータが継寛を止める。

「ん?どうした?」意外そうにリョータを見る。

「歩いて渡るのか?」

「ああ」

「…」リョータは無言で継寛を見送った。スタスタと普通の道を歩くようにして継寛は【蟻の塔渡】を通過した。まったくもって信じられん男だ。

「あー、俺這って行くわ」リョータはそう言うと地面にしゃがみ込み、その細い頂きに跨った。後は決まり切ったように四つん這いで進む。

「此処を過ぎればもう直ぐ戸隠山だな」地図を片手に継寛は言った。

「よいしょっと」リョータは【蟻の塔渡】を渡り切り、立ち上がる。

「おつかれ」

「サンキュ」

パンっと手を打ち合わせる。

「ようやく4分の1か」継寛から地図を引っ手繰るとリョータは地図に目を落とす。戸隠山まではこれ以上の難所は無いようだ。直ぐ先にある【八方睨】から高妻山を眺望できるらしい。

「此処でもう一度休憩を取るとしようか」リョータは地図の一点を指差し、継寛に確認を取る。

「俺はお前が渡ってる間に休憩してたから、休憩なんてしなくてもいいんだけど?」とリョータの持つ地図を覗き込んで「なんだよ、リョータ。直ぐそこじゃないか」と苦笑した。

 

 

そして、辿り着いた【八方睨】から望む高妻山は堂々たるものだった。デジカメにその雄姿を収めながら「まぁ、もっと雄大な山は幾らでもあるし、皆が騒ぐほどでもないな」とリョータは相変わらずの辛口の批評をした。

「それで、休憩するのかよ?」継寛は面倒臭そうに嘆息して、遥かなる高妻山を見つめた。

「しなくていいよ。一不動まで一気に行こう」リョータは地図を指でなぞり「コレなら10時前には一不動まで辿り着けるな」と呟く。

「マジか…」継寛はリョータの呟きに思わず反応する。

「うん、大丈夫大丈夫」リョータはそう言うと何事も無かったかのように歩き出す。継寛は一瞬考えてから「まぁ、いいか」と呟き、それからぽりぽりと人差し指で頬を掻き、もう一度思考してから後を追った。

 

かなりのハイペースで先へと進む。気が付けば戸隠山の三角点を越えていて、九頭竜山が眼の前にあった。残り3分の1と言った所か。残す難所は胸突き岩か。

結局、登山に慣れた二人には別段、苦でもなく易々と越える事ができた。

「ふむ、もう少しか」

「そうだな。まぁ、予定通り10時前には一不動に着けそうだな」

「ってか、もう目の前だな」地図を見れば取り敢えずの目的地はすぐそこに迫っていた。すれ違う登山者も居ないまま二人は無事に一不動に辿り着くことができた。着いた頃には既に皆川や他の連中の姿もなく一不動の避難小屋はガランとしていた。

「誰も居やしないな」継寛は転がっていた空き缶を蹴って辺りを見る。

「まぁ、丁度誰も居なくなりそうな時間帯だしな」リョータは首から提げた携帯を開くと時間を確認する。

 

-9時58分。

 

予想通りの時間なわけだけど。此処から高妻山まで大体3時間くらい掛かるらしいから、【咎隠村】までは少なくとも4,5時間は掛かるわけだ。

「なぁ、継寛。このまま高妻山まで行けそうか?」

「多分な。そんなに疲労も蓄積していないし、これくらいの山だったらまだまだ歩けるさ。皆川に追いつかないと来た意味が無いからな。先を急ぐならいつでも行けるぞ」

「先を急ぐとするか」リョータは空を見上げた。穏やかな陽光が世界に降り注いでいるわけだが、まるで真夏の日差しのように感じられた。

 

 

 

 

まるで黄泉の国の入り口だ。三枝は先頭を切ってその黄泉路を下っていた。その後には真夜、千秋、高塚が一列に並んでいた。一体どれだけ下れば終わりが来るのだろうか。永遠に下り続けなければいけないような錯覚が三枝を襲う。深遠への道程は唐突に終わりを告げる。陰鬱な道に代わって目の前を支配するのは枯れ果てた世界だった。

 

「あ…」間抜けな声を出して三枝が立ち止まる。それに続いてきた3人も足を止めた。

「ここが、【櫻澤邑】?」千秋が三枝の隣に並んだ。真夜は三枝の右腕に抱き付いたままその時を止めている。

「すげぇな。本当に廃村だ」高塚が眼前に広がる滅びた村を愕然とした表情で眺めていた。

「どうすればいいんだ?」三枝が誰も投げ掛けなかった疑問を投げ掛けた。

「さぁ?」千秋は一歩前へ出た。

「取り敢えず、泊まる所を探さないか?」高塚が赤紫に染まった空を指差して「もう直ぐ完全に落ちるぞ」と3人に言った。

「そうだな、このままこんなところで呆けている場合でもないわな」三枝が珍しく行動を起こす。散らばっている廃墟を一つ一つ見て廻る。どれもこれも倒壊しておりまともに一夜を明かせそうな家屋は無かった。テントを張ろうにも拓けたスペースが無く、4人は村の最奥へと進んだ。

 

唐突に今までの雰囲気とは違う大きな家がそこには在った。

「不思議な造りの家ね」真夜が半分崩れてしまっているその家を見て言った。

「そうだな、社殿建築って言ったかな、この造りは」三枝は過去に父親の部屋で読んだ建築様式について書かれた本を思い出した。

「へぇ、流石は建築士の息子」高塚がぽんっと三枝の肩を叩いた。

「ってか、この家も倒壊してるから休むのは無理だな」

「だね。でも、この広さならテントは広げられるよ?」真夜はそう言うと庭だったであろう平地を指差した。

「ふむ。此処でキャンプするか」三枝は背中からリュックサックを降ろすと、中からテントを引っ張り出した。

「ってか、ちゃっちゃと組み立てようぜ」三枝に習って高塚もテントを組み始める。宵闇が音も無く世界を侵食していく。二人は何とかテントを組み上げ、火を熾す(おこす)準備を始めた。

「今何時だ?」高塚が誰にでもなく問いかけた。

「19時ちょい」千秋が左腕にはめたシャネルの腕時計を見て言った。

「ふむ、道理で腹が減るわけだ」高塚はそう言うと腹を撫でた。

「まぁなぁ。飯の支度でもしようか」三枝はそう言うと3人に「取り敢えず燃えそうな木材を拾いに行こうか」と村の方を見る。

「え?お兄ちゃん、もしかして…」真夜は驚いたように三枝を見る。

「まぁ、燃えるものって言えば、そこいらに点在してるもんな」高塚はもうやる気が充実していた。

「罰(ばち)があたりませんように」千秋は目を瞑り手を合わせる。

「戸、で良いぞ。戸で」三枝はそう言うと手近な家に近付き、引き戸を引き剥がした。

「どうするんだよ、こんなでかいモノ」高塚が呆れ顔で三枝を見る。

「決まってるじゃないか。薪にする」そう言って蹴りを何回か戸に向かって放つと、とは次第にバラバラに砕けていった。

 

 

「何やってるんだ、お前等?」

背後から唐突に降りかかった声に驚いたのだろう4人は一斉に振り返った。

「よぉ」そんな連中の綺麗に決まった動作に逆に驚き、俺は右腕に呉葉を巻き付けて、左手を上げたまま硬直してしまった。

「びびらせるんじゃねーよ、皆川!」高塚が逸早く我に返り、俺に掴みかかる。俺は胸倉を掴まれて「あははは、すまんすまん。驚かすつもりは全く無かったんだ」と一応の謝罪をする。

「と言うか、主等何処に居たんだ?」枝さんが俺と呉葉を交互に見て言う。

「うん?そこの土蔵で眠ってたわけだが」俺は呉葉に導かれて夕方潜り込んだ土蔵を指差して言った。

「…テント張る必要なかったね」真夜は額に手を当てて頭を左右に振った。

「そうとも言うわね」千秋も目の前に二つできたテントを見て呟く。

「まぁ、良いじゃないか」カラカラと俺は笑った。

「お前なぁ…」枝さんが溜め息混じりに呟く。

「さて、大学生の連中はどうした?」皆川は妙な所を気にした。

「置いてきた」千秋がさらっと言う。

「へ?」俺は千秋の言葉に一瞬、思考回路が停止した。

「着いて来てたのか、連中」自分で表情が強張るのがわかったが、状況を知りたい。

「そそ、此処に来る途中の…ええと、カムイのサイトで【咎隠村】って紹介されていた場所に置いてきたと言うか…」高塚は言葉を濁す。

「ゆたか、拙いかも」呉葉は俺の服の袖を引っ張る。

「【櫻ノ海】か」俺は呉葉から聞いた話を思い出す。

 

 

それは、深い深い森の中。

それは、忘れられた祭壇。

それは、血塗られた過去。

 

 

「【櫻ノ海】ってなんだ?」高塚が尋ねる。よくもまぁそんな単語に反応できるな、と半ば感心する。

「ああ、途中に在っただろ?拓けた場所でさ。桜の樹が沢山生えてるところ。今お前が言ってた【咎隠村】だよ」俺は祀事場を思い浮かべて話した。あの場で呉葉の言った通りの事が行われていたとすれば、呉葉の謡っていた三連句が非常に不気味さを持つ。

「じゃ、この【櫻澤邑】って?」真夜が口を挟む。

「ここが【咎隠村】だよ」俺は答えた。

「なんだ、あのサイトは嘘っぱちか」枝さんは納得したと言う顔付きで頷いて見せた。

「そう言う事になるな」俺は頭の片隅で思考する。

 

それにしても、何故カムイは【櫻ノ海】を【咎隠村】としたのだろうか?

知らなかったから?

…それは在り得ない。カムイは知っていた筈だ。地蔵の回廊の事もそして、【櫻ノ杜】の事も。では何故それがサイトに書かれていない?

隠匿するほどの何かがそこに在ったとでも言うのか?

破棄された村。そこに残る伝承は【紅葉狩り】と【地蔵憑き】そして【士送り】どれもこれもあやふやな伝承や儀式に過ぎない。そんなものを隠す必要なんて何処にある?

では隠したかったのはもっと別のものか?

さっぱりわからねぇ。思考の行き止まりに達したので俺は現実に意識を戻す。

 

「つーか、こんな暗闇の中を戻るなんて自殺行為だしな。連中が生きていればめっけもんって事で、俺らは俺らで楽しもうぜ」俺はそう言うと呉葉に「ってか、一晩泊まっても大丈夫なのか?」と耳打ちする。

呉葉は若干考えた素振りをした上で「大丈夫とは断言できないわ」と小声で返した。

「手の打ちようが無いから、なるようにしかならんわけだな」と解釈した。

「ま、腹が減っては戦も出来ないわけだし、ご飯にしようか」千秋が切り出した。

「誰と戦をするつもりだ…」高塚がジト目で千秋を見る。

「例えじゃない」酷く冷静に返される。少しだけ高塚が可哀想に見えたが気にしないで置こう。

 

各々がご飯の準備に取り掛かる。俺は高塚と燃えるものを集めに走り回った。呉葉と千秋は調理、枝さんが火の番をしていた。

 

 

「なぁ、ようやく気付いたぞ」高塚が引き戸を引っぺがしながら俺に話し掛けてきた。俺は「何が?」と尋ね、高塚の外した戸を蹴って分解する。

「大学生パーティーのリーダー」ええと、藤堂だっけ?

「ふむ、それがどうしたんだ?」俺は高塚が何を言わんとしているのか興味をそそられたので尋ねてみた。

「カムイだ」短く言った高塚の言葉が耳に残る。

「カムイ?」俺は聞き返す。

「そう、あのサイトの管理人だ」高塚は自信有りげに眼差しを俺に向けた。

「でも、あのサイトの書き方だと中年越えのおっさんじゃないのか?」俺は拙い(つたない)記憶を辿る。

「あ…」高塚はそこで絶句した。

「だろ?」俺は高塚の顔を覗き込む。

「いや、でもあのサイトの写真に載っていた顔はあの部長の顔だったぞ」高塚はそう言って譲らない。

「そうだったか?」海馬を探るがそのような記憶へのリンクが無い。高塚の言う通りだったとすればどういう事なんだろうか?

あの藤堂とか言う部長が管理しているサイトでこの【咎隠村】を紹介していた。それは何の意味があるのだろうか?

理解へと辿り着く糸が繋がらない。

「それにしても、よく覚えているな」俺は高塚の無駄な記憶力に感嘆する。

「普通、覚えてるだろ」さも当然と言う風に高塚は俺を見た。断言しよう、そんな特殊技能を持っているのはお前だけだとな。俺は本気で呆れながら高塚を頭の天辺から足の先まで見る。そんな俺の視線移動に気付いたのか、高塚は「何だその不審人物を見る目は…」と俺を睨んだ。

「思いっきり不審人物じゃないか」俺はハッキリキッパリと言い切った。

「まぁ、いいけど。どうするんだよ?」高塚が何かの決断を俺に迫る。

「何をどうするって?」俺は思い当たる節が山ほどあるので高塚の口から話させる事にする。そのほうが手っ取り早いし、答え易いからな。

「今日はともかく明日の事だ。明日はどうするんだ?」高塚は木戸を思い切り蹴り付け、破壊すると、それをまた2つに折る作業をしながら俺に尋ねる。無論、俺はカッタルイのでそんな事をしない。やっている振りをしながら高塚の質問に答える。

「帰る」と。

「は?」高塚は作業の手を止めて俺を凝視した。

「富山に帰る」俺はもう少しわかりやすく答える。

「おい!?」高塚が燃料と化した木戸を投げると俺に向き直った。

「今年は時間が無い。何か調べるにしてももっと時間が要る。」俺は冷静に自分の考えを述べた。

「つうか、マジで帰るのか…」高塚は俺を恨めしそうに睨んだ。

「うむ、どうにもならんだろ。時間を食い過ぎた」残りの休みの日数を思い出すと欝になりそうだ。疲れた身体を引き摺りながらの仕事か…本気で欝になってきた。

「確かに、時間は無いな。…つうか、もしかして大体は調べをつけたのか?」こいつは俺の話を聞いていないのだろうか。

「だから、調べるには時間が要るって言っただろ。まぁ、【地蔵憑き】については呉葉からここいらに伝わる昔話を聞いたからな。他の【士送り】だのなんだのはまったくわからないわけだが」俺はタバコを取り出し火を点けた。

「ふむ、そう言えば【かごめかごめ】に関しては何かわかったのか?」そう言えば【かごめかごめ】のルーツ探しからこの旅が始まったことを思い出す。俺としたことが今まで忘れていた。

「ああ、この【咎隠村】だと【かごめかごめ】は【地蔵憑き】だったんだ」俺は呉葉から聞いた伝承を端折って話す。

「ほう、結構な収穫じゃないか」高塚は俺の話を聞いて適当な相槌を打つ。

「そうでもない。やはり【櫻ノ海】についてまだ調べつくしてないし、来年もう一度此処にきて調べる必要があるなぁ」【地蔵憑き】の話を聞いて、俺はこの地にある伝承を調べ尽したくなった。だから、来年、もう一度この地に立って今回謎のまま残りそうな【櫻ノ海】と【櫻澤邑】についてもう一度洗いなおそうと考えていた。

「来年は来ないぞ」高塚はジト目で俺を見る。

 

-OK、わかってるさ。

 

「来年は多分1人で来るだろうから大丈夫だ」にっこりと笑ってやる。それから、油を売っていても仕方ないので「そろそろ皆の所に戻るか」と高塚を促すのだった。

何とか薪として使う分の木材を入手すると両手に抱えて足場の悪い道を皆が待つ長の家の跡に向うのだった。

 

 

俺達の調達した薪で何とか食事の用意は出来た。結論から言うと夕食はカレーだった。しかも滅茶苦茶辛いカレーだった。

火を取り囲んで車座になる。なんだか知らんが皆都合よく2組ずつになっているわけだ。呉葉が俺の右隣に座って、その隣に千秋、高塚、三枝、真夜の順で一周している。

「おい、枝さん」俺はカレーを3口くらい頬張ってから込み上げてくる涙を堪えつつ話し掛けた。

「ほえ?」小動物が首を傾げる如く枝さんは30°ほど首を右側に傾けた。

「なんでタージのカレーなんだよ」鍋の近くに転がっているレトルトパックの残骸を指差した。

「美味しいだろ?」何事もないかのように枝さんはスルーした。

「確かに美味いけどよぉ」美味しいが納得がいかなかった。なんでこんな所までやってきて普段喰っているところのカレーなんだろう。しかも、激辛で持ってくるか、普通。

「辛いの?それ」呉葉が俺のカレーを指差して興味深そうに尋ねる。

「喰ってみるか?」

「うん」呉葉はそう言うと俺のカレーをスプーンで掬った。俺は内心笑いを堪えながら口に運ぶのを見ていた。一瞬、電撃が走ったようにびくっと身体を上下に揺らし「うぐ~、うぐ~」と言葉にならない何かを発しながら、目の前の水が注がれたグラスに手を伸ばした。

「あ」俺と枝さんの声が重なる。呉葉はグラスを取って、ゴクゴクとそれを飲み干した。それから「~~~~~~~~」声にならない悲鳴ってやつか、それを上げて立ち上がる。

「水なんて飲むからだよ」俺は立ち上がって涙を溜めながら硬直している呉葉に言葉を投げた。恨めしそうに涙を零し、俺を睨むと、俺の右足を思いっきり踏み付けた。…非常に痛い。

「早く言ってよねっ!」呉葉は頬を膨らませると、どっかりと定位置に腰を下ろした。

「言う前にパニクって水飲んだのお前じゃん」俺は呉葉の頭頂にチョップを繰り出す。

「うー、そうなんだけど。なぁんか納得いかない」そう言いながらも自分のカレーを頬張る。タフだなぁ。

「そんなに辛いの、それ?」千秋が俺のカレーを覗き込む。

「ああ、タージブラックだからな」高塚が自分のカレーの器を千秋に差し出した。千秋は「これなの?」と尋ね、高塚は無言で頷く。恐る恐るルーをスプーンに取って口に運ぶ。無表情で「辛いね」と言うと、何事も無かったかのように自分のカレーを処理し始めた。

「普通に喰えるか」高塚そう言うと残りのカレーを掻き込むのだった。

「つーか、枝さん何処からこれ仕入れてきたんだよ」

「ん?普通に売ってるぞ」さも当然と、枝さんは俺を見る。

「ふむ、妹さんもブラック食べてるのか」俺は真夜の器を覗いた。

「うん、そうですよ。美味しいじゃないですか」ニッコリと微笑む。

「…辛過ぎだよォ」真夜はがくっと項垂れる。皆はそんな呉葉を見て爆笑する。月の無い夜空に俺達6人の笑い声が吸い込まれていく。

 

 

夕食を終え、各自バラバラになる。

俺は一人朽果てた家の縁側で胡座をかき、空を見上げた。星星の瞬きが目の前に広がり、何処か別の世界に紛れ込んだような、そんな錯覚にとらわれる。

ポケットから残段少なくなったタバコを取り出す。鞄の中にストックが在った筈だから、後で取ってこよう。

 

この深遠の森の中、深淵の闇の中、何処から何処までがヒトの領域で何処から何処までが神域になるんだろうか。

-そんなくだらない事を一人考えた。紫煙が凪いで何処か知らない闇の中に溶けていった。

 

 

 

 

何時間歩き続けただろうか、辛気臭い地蔵の立ち並ぶ道を抜け切ると紹介サイトに在った通りの場所にでた。胡散臭いくらいに桜が生い茂っていて、悪い夢でも見ているような気分になってくる。

「凄いな、ここ」継寛が桜の樹を見上げて硬直していた。

「確かにコレだけ桜が群生しているのはめったに無いね」俺は冷静に状況を分析することに勤めた。

サイトに何点か掲載されていた写真の中に今見ているアングルからの写真があった事を思い出す。ここがサイトで紹介されていた【咎隠村】で在ることは相違なさそうだ。

「それで、リョータ。皆川を探さないのか?」継寛が珍しそうに周りの桜を見ながらたずねた。

「探すさ。でも、あいつ、ちゃんと此処に来たのかな?」なんとなく厭な予感が脳裏を過ぎる。

「大丈夫だろ。お、あんなところに人が居るぜ?三枝と高塚じゃないか?」継寛の指差した方向を見ると数人が地面に座り込んで、何かをしていた。

「おい、あいつ」俺は継寛の丁度、指の先に座っていた男の顔を見て思わず声を上げる。

「ん?」継寛は俺の視線と自分の指が指し示している人物を照らし合わせ「なんだ、あの男がどうかしたのか?」と、訝しげに尋ねる。

「ああ、あいつ…カムイじゃないか?」俺の言っている意味がわからないという表情をして継寛は「誰だよ?」と再度、尋ねる。

「一昨日、俺の部屋で見ただろ。『神宿りの島』ってサイト」継寛が無言で頷き、それを確認してから「そこの管理人だよ」と続けた。

「ほう?」俺の言っている意図を飲み込めていないのだろう、継寛は一言呟くと沈黙した。

「うーん、書いてある文章と本人のイメージがかけ離れているなぁ」俺は『神宿りの島』の文体を思い出してみた。最後の3流ホラーのような件を除いて全体に落ち着きの在る文体で、俺の視線が捉えている若者が書いたとは到底思えないんだけどなぁ。

「あのサイトは中高年のオヤジが書いているサイトだったはずだけどなぁ」そう言ってハッとなる。あの時感じた違和感はそれだったのか。最後の文章だけが妙に洗練されている。そして、擬音表現が多い。中高年が管理するサイトにしては表現が稚拙。まるでライトノベルの類を読んでいる感覚だったのだ。記憶を手繰る。

そして、違和感の正体に気付く。俺の感じていた違和感はサイト内の管理人プロフィールの写真だ。アレが文章と釣り合わないくらいに若過ぎるのだ。

無論、人は見かけに寄らないというから、あの写真で中年なのかもしれない。しかし、あそこで座っている男はどう見ても中年には見えないし、正にサイトに掲載されていた写真の人物その人なのだ。

 

「んで、リョータ。どうするんだ?」

その言葉で我に返ると、かったるそうな表情を浮かべた継寛が俺を見ていた。

「危険は無いと思うんだけど、何であのサイトの管理人がここに居るのかそれが納得できないんだよね」俺は自分で何を言っているのかわからなくなる。

「危険?ってか、その管理人とやらが別にここに居ても何の問題も無いだろ。何か悪い事をしたわけでもないしな」継寛は正論を述べる。

「まぁ、それもそうだね」俺はカムイに目を向ける。カムイはなにやら真剣に周りの連中に話をしていた。

「取り敢えず、お近づきになりましょうかね?」継寛はそう言うとカムイに向って歩き始めた。俺も継寛の後に続く。ある程度近付いたところで人数が把握できた。カムイを合わせて4人のようだ。更に近付くと、カムイが俺達に気付き、立ち上がる。他の連中は少し強張った顔で俺達を見ていた。

 

「こんにちは」最初に声を掛けたのはカムイだった。その言葉がまるで合図であるかのように他の3人も立ち上がる。

「こんにちは」俺と継寛も一応の挨拶を4人組にした。

「【咎隠村】探しですか?」にっこりと笑ってから、カムイは俺達にその名詞をもってして尋ねた。

「【咎隠村】ですか?」俺は知らない振りをして、カムイの出方を待つ。

「ああ、ご存知無かったですか」カムイは『これは困った』と言うような表情を浮かべ「ええと…」となにやら話を続けようとする。それを遮って、「此処に【皆川 裕】って奴は来ませんでしたかね?」と俺は言った。

「ええと、皆川さんのお知り合いで?」と表情に若干の笑みを入り雑ぜてカムイは俺達を見た。

「そうなんですよ、皆川に此処に来いって言われたんだけど」俺はうっとおしいくらいに生えている桜の樹を見ていった。

「皆川さんとは一不動の避難小屋で別れたきりですね」如何にも残念そうな顔をしてカムイは言った。

「それで…ええと?」俺は掌を上にしてカムイの方に向ける。意を察してくれたか、カムイは「ああ、僕は【藤堂 朋弘】登山部の部長をしてます」にっこりと笑うと綺麗に並んだ白い歯が見えた。

「よろしく、俺は三国それで、こっちが」俺は継寛の方を向いて「菅沼です」と4人に紹介した。

「他に三枝さんとか高塚さんって此処には来てました?」俺は取り敢えず他の人達の足取りを追うことにした。

「ええと、1時間ほど前から皆さん姿が見えませんね」苦笑しつつカムイ-藤堂が言った。

「参ったな」俺は継寛と顔を見合わせた。

「ええと、藤堂さん達はこれからどうされるんです?」珍しく丁寧語で継寛が話す。めったに無いことなので内心動揺してしまった。

「僕達は時間が時間ですから、此処でキャンプをしようかと今話し合っていたところなんですよ」そう言うと「なぁ?」と他のメンバーを振り返る。

「ちなみに三枝さん達はどこに行くとか言っていました?」俺は取り敢えず聞いてみる。

「いえ、此処が最終目的地ではないのですか?」そう言って藤堂は俺に皺だらけの紙切れを手渡した。

「なにこれ?」紙切れはよくよく見れば地図で、どこの地図かと言うと、戸隠山登山ルートの地図で、さらによく見れば皆川の字で書き込みがされていた。

「見ての通りですよ。【咎隠村】の地図です」さらりと言う藤堂。

「此処で行き止まりか」確かに地図の最終目的地は此処になっている。

「今、何時だ?」継寛は俺に聞く。

「ええと、16時27分」胸にぶら下がった携帯を開いてみた。無機質なデジタルのアラビア文字が現在時刻を刻んでいた。

「どうにも出来ない時間だな」継寛は空を見上げた。茜雲が浮かび黄昏が迫るその空を見て、「確かに戻るには時間が足りなさそうだ」と、継寛の言葉に同意した。

「まぁ、適当にこの辺りを見てみようか」継寛はそう言うと歩き始める。

夏場であれば来た道を戻るという選択肢もブラックアウトせずに俺の脳内に表示されるだろうが、4月も終わったばかりの今はリスクが大き過ぎるので、その選択肢を断念せざるを得なかった。

「俺も適当に歩いてくるよ」藤堂にそう言うと、俺は継寛の後に続いた。藤堂は「わかりました」とだけ言うと俺達を見送った。

 

 

適当に歩いてみて思った事は、然程この【咎隠村】と言う土地が居住スペースとして広くない事。そして、水源等のライフラインが無いと言う事。サイトで『基礎』と表現されていたものは確かに何らかの建物の基礎であると言う事。そこで行き詰まる。

「なんなんだろ」俺は疑問符を黄昏の空に投げ掛ける。

「なんの事だよ?」継寛がそんな俺に疑問符を投げ掛ける。

疑問符がこの空間にどれだけ飛んでいるんだろうな、まったく。そんな下らない事を頭の片隅で考えながら「いや、此処って本当に人が住んでいたんだろうか?」ともう一つ疑問符を増やした。

「多分、此処は誰も住んでいなかったんじゃないか?」継寛は俺の疑問符に答えを返した。

「どうして?」俺は継寛の説を聞いてみた。

「人が居た形跡があっても、人が生活した形跡が無いから」ふむ、俺とは違った着眼点だ、面白い。俺は相槌を打ちつつ、継寛を食い入るように見つめる。いつもクールな男が饒舌になって話を進める。そして「建物の残骸は彼方此方に在るんだけど、食器とか、農具とか、そう言った生活に必要なものが無いんだよ。」と継寛は話を纏めた。

「そっか、そう言う見方もあるんだな」継寛の言う通りだった。しばらく彼方此方と歩いてみたが、人の手の加わった建築物の残骸と思しき木材は幾つか転がっていたものの、食器や農具の類は一つも見ていないのだ。

「俺の場合は、水源とか畑とかそう言ったライフラインが無いなって思ったんだけど、お前のほうが良く見てるよ」俺は手放しで継寛を誉めた。

「それはそうと、人の住んでいた形跡が無いってことは此処は【咎隠村】ではないんじゃないか?」継寛が決定的な言葉を紡いだ。

「そうか。だから、こんなにも違和感があったのか」俺は此処を村だと思えば思うほど湧き上がる違和感に疑問符を投げていた。その疑問符は此処が【咎隠村】ではないという説の前に消え去った。しかし、新たな疑問符が1枚掌に舞い落ちる。

 

 

「では、何処に在るんだ?【咎隠村】は?」

 

 

「知らね」継寛は肩を竦めて見せた。そりゃぁそうだな、普通、知る由も無いだろうな。そして、途方に暮れる。

「なぁ、あれ」継寛がなにやら都合よく見つけたみたいだ。こいつの観察眼にはもう驚かされないからな。

「どれだよ?」俺は継寛の指す方向をみる。それは若干此方側に迫り出した山裾の中腹付近。夕日を照り返して何かが光っている。

「何か、反射してる?」俺は光を見つめる。

「こんな山奥で反射するものと言えば、水か、人工物か。どちらかだろ」そう言うと継寛は光の見える方向に向かって歩き出した。

「おい、行くのかよ?」俺は慌てて継寛の後を追う。

「手懸りが何も無いなら、気になるものを調べる他無いだろ」段々と俺達は山裾に近付いていく。空気が清みはじめる。冷気の入り混じった山独特の空気が流れているのを感じる。斜度を持った台地が見える位置まで来ると、先程通って来た地蔵の道が設けられている事に気付く。

「来た道とは違うな」俺は道の入口に立っている地蔵を見て言った。来た時に見た地蔵の背にはびっしりと毛氈苔が生えていたのに、この地蔵にはそれが無いからだ。穏やかな表情であっただろうその地蔵は長年の風雨に曝され激しく風化していた。石質まではわからなかったが、御影石ではないと言う事くらいは俺にもわかった。

リョータ、進むけど。いいな?」一応俺の確認を取る継寛。此処まで来たら仕方あるまい。俺は2つ返事で地蔵が立ち並ぶ回廊へ歩を踏み入れた。

「あ」俺は唐突に思い出す。

「なんだ?」継寛が俺の声に驚き振り返る。

「此処はもしかして【櫻ノ杜】の入口かもしれない」カムイのサイトの内容を思い出す。しかし、ここが【櫻ノ杜】の入口だとしてもこの先は道が崩壊していて先に進めないはず。

「ほう、もしかしたら皆川は其処に向かったのかもしれないな」額の汗を拭い、継寛は道の先を睨んだ。

「いや、だけど…カムイのサイトの情報だと此処から先は道が崩れていて先に進めない筈なんだけど」俺は先に進む気満々の継寛に水を注した。

「進んでみない事には何とも言えないだろ。この斜度なら登れない事は無いし」継寛の意見には賛成だった。30°前後の斜度の道が続いていて、これ位であれば山菜を取りに入る山のほうがよっぽど傾斜がキツイ。

「ま、本当に行けそうになくなったら引き返そう」継寛は俺の言葉に頷く。

 

 

陰鬱な空気の漂う道。地獄の救い神たる地蔵菩薩に見守られながら俺達は天に向かって続く黄泉路を踏み進める。500羅漢のように大きさ、表情、形に統一性の無い地蔵が延々と立ち並んでいる。

「お、道が切れた」俺の少し前を歩く継寛が道の状況を告げた。

「進めそうか?」俺は継寛に尋ねながらも状態を確認できる位置まで歩く。

「何とか行けると思うぞ」何とか継寛に追い付き、道の状況を確認した。延々と続いていた地蔵の回廊が突然遮断され、剥き出しの断崖が目の前に現われる。幸い、足場となる部分は存在していて、先に進めないと言うほどでもない。継寛は土砂に埋もれた地蔵の背に足を掛けると、先へ進み始める。

「罰当たりだな…」俺は手を合わせてから地蔵の背に足を掛けた。崩れてから結構な時間が経っているのであろう、足場は思うほど悪くなく、俺達は崩壊した道をそれなりのペースで登っていく。しばらく登ると、再び地蔵の回廊になる。木々の枝の間から先程まで居た【咎隠村】が見える。それは桜の樹に覆われていてまるで桜の雲海が在るかのように見えた。

「結構登ったな」

「まぁな。天辺までもう少し見たいだぞ」眼前に在るのは、真っ直ぐに空へと続く道。地蔵の連なる道が開け、その先に猩猩緋(しょうじょうひ)に染まった空が見えた。

「もう少しっぽいな」俺は進める歩に力を込める。

「何も無かったら、笑い話だな」継寛が不吉な事を言って笑う。

「これだけ地蔵が在るから、何か在るって」俺達は【櫻ノ杜】に続くであろう道を登り切った。

太陽は山陰に落ち切ってしまい、宵闇は直ぐ間近まで迫っていた。浅蘇芳の広がる空が手を伸ばせば直ぐ其処に在った。空ばかり気にしていたので目の前に広がる平地を見た時、驚きを隠せなかった。どれくらいの広さなんだろうか、はっきりとは解らないが、30畳位は楽にありそうな開けた土地にぽつんと傾いた社が建立されていた。

「これが、【櫻ノ杜】?」俺はその崩れかかった小さな社に近付いた。大きさで言えばホームセンターで売っているような物置位の大きさ。格子状になった入口から中を窺い知ることができた。【櫻ノ杜】の中には地蔵が1体安置されていて、崩れかかった天井をその頭で支えているのだった。

「こんなちっぽけなのが【櫻ノ杜】なのか?」継寛が社を覗き込む。

「いや、この地全体を指す言葉なんじゃないかな?『杜』は人の作り出した森を指す言葉だからな。だから俺達が今登ってきた山も含めて【櫻ノ杜】なんじゃないかな?」俺はそう言うと登ってきた道の先を見る。中腹で枝葉の間から覗いた桜の雲海だったが、頂上から見るとより一層儚くも美しかった。

「さて、これからどうするんだよ。流石に戻りたくは無いぞ」継寛はそう言うと地面に腰を下ろした。

「確かに」俺は継寛の隣に腰を下ろすと、リュックサックからペットボトルを取り出し、飲んだ。渇いた喉を潤して一気に水は胃まで流れ落ちる。その感覚を堪能して俺は背伸びをする。焦っても仕方ないし、まぁ、取り敢えずは休息しよう。

 

 

気が付くと、静寂が在って、空は星星に覆われていた。頭の芯が痺れたような感覚。覚醒を促す為に、携帯電話の明かりを頼りにしてペットボトルを手に取り、口を付ける。明かり無しでは視界はゼロに近い。漆黒が辺りを包んでいる。ポケットからLEDのライト引き摺り出して点ける。頼りない蒼白の光が地面を照らし出す。継寛が近くで毛布に包まり横たわっている。胸が上下に動いているので死んではいないようだ。

それにしてもこんな所で普通に寝落ちてしまうなんて疲れてたんだな、俺。首を左右に振り、間接を鳴らす。思い切り背伸びをして、前屈してから身体を反らす。間接がゴキゴキと小気味良い音を立てる。一通りの間接を鳴らすともう一度背伸びをした。

「さて、目が覚めちまったな…」俺は携帯を開く。左上に圏外と表示されたそれはもはや通信機器ではなくなっていた。時刻は21時を廻ったところ。今日日小学生でも寝ない時間帯だ。暇を持て余し、俺は座り込む。昼間と違い冷気を帯びた風がゆっくりと流れているのを感じる。仰向けに寝転がると、宙のスクリーンを臨んだ。月の出ていない空は瞬きを繰り返す星星の褥となって柔らかに星達を抱いていた。

 

耳が痛くなる程の静寂。時折継寛の寝息と木々のざわめきが聞こえてくる。

「一体皆川め、何処に居るんだよ」俺は溜め息に混じらせて愚痴を吐いた。目を瞑り、再度眠りに落ちようとするが、なかなか寝付けない。妙に気が昂ぶっている。気付けば継寛の寝息も止まり、起き上がっている。

リョータ、起きてるか?」小声で継寛が尋ねる。

「ああ、起きてる」俺も身体を起こす。

「妙な気配を感じるから目が覚めちまった。」コキコキ、と肩を鳴らす。

「気配で目を覚ますか、普通?」俺は思わず突っ込みを入れる。

「仕方ないだろ、狙われてるぞ、俺ら」継寛は物騒な事を言うとリュックサックを担ぎ立ち上がる。

「待て、俺らが何をした…」ヒュン、と音がして何かが俺の頬を掠める。灼けつく様な痛みが頬を走る。思わず俺は頬を撫でる。指の先で妙な滑りを感じ「何だ…これ?」と掌にライトを当てる。鮮血が指先を朱色に染めていた。

「うお!?」思わず俺は叫び声を上げる。

「ライト、消せっ!!!」継寛にライトを持った腕を叩かれる。その反動でライトは消えた。

「狙われてるのに自分から位置を知らせる馬鹿が何処に居るんだよ」強い口調で継寛は言うと、逃げるぞ。と、走り出した。後は無我夢中だ。

ヒュン、ヒュン、と風切音が何回かして、近くでトンッ、トンッ乾いた音が響く。星の光にそれはシルエットとして浮かび上がり俺は恐怖する。かなりの精度で俺を狙っているらしい。1m位離れた立ち木に矢が刺さっているのだ。

「~~~~~~」悲鳴すら上げられない。恐怖で声帯が機能しない。竦み上がる筋肉に鞭打ち、俺は継寛の後を必死で追う。

一体何処に向かって走っているのかなんて解らないし、斜面を転がり落ちるように俺達は走る。枝葉が顔や服を薙ぐかなりの痛みを伴うが、矢が当たるよりはマシだろ。ヒュン、と風を切る音が又聞こえたと思うと、タンッと耳元で音がする。冷や汗だか、血だか、涎だか、なんだか解らない汁でグシャグシャになって俺達は走る。急に継寛が足を止め、俺は継寛のリュックサックに思いっきりぶつかる。継寛はそれに動じず、しゃがみ込んだ。

「~~~~~~」俺は声にならない声で継寛に訴えかける。

「落ち着け、木の陰になってるから此処に居れば遣り過ごせるかもしれん。」流石に息を切らせながら継寛は此処に立ち止まった理由を述べた。

「…っはぁ、はぁ…。なんなんだよ…」俺は何とか声を取り戻すと状況に文句をつけた。

「さてな?しかし、スターライトスコープか赤外線スコープでも着けてるんじゃないのか…。」何の事だか?

「へ?」俺は間抜けな声を上げる。

「いや、俺達を狙ってる奴」冷静に継寛は状況を分析する。

「ちょっ、待て。赤外線スコープなんて買えるのかよ?」俺は継寛の言葉に食って掛かる。

「どうだろ?スターライトスコープならこの間秋葉で売ってたぞ」と言うか、冷静に言う事でもないだろう。

「どっちにしても、なんで俺等が標的にされてる?」状況が掴めない。理由がわからない。パニック寸前だ。

「知らないって。どっちにしても、そろそろ追い付いてくる頃じゃないかな?」継寛はそう言うと、口を噤んだ。俺も合わせて押し黙る。

 

 

-静寂。

 

聞こえるのは心臓の音。

 

呼吸の音すら聞こえないようにしている。

 

枯れ枝を踏み付ける音が遠くでする。そしてそれは段々と近付いてくる。ガサガサと立ち木を押し退ける音。それが真後ろでした時には流石に肝が冷えた。しかし、そいつは俺達を素通りして傾斜を下っていく。そいつは黒い衣服を着用しており、シルエットだけが際立って見える。継寛は冷静に状況を探っている。この状態で俺達が教われないところを見ると相手は赤外線スコープではなくてスターライトスコープを使用しているらしい。

音も立てずに立ち上がると、携帯電話のLEDを点ける。そして、通り過ぎたそいつを振り向かせるべく、わざと音を出した。そいつは振り返り、構える。そこに継寛が携帯のLEDを向けた。

「うわっ」黒尽くめは驚愕の声を上げる。確かに男の声だった。そいつはよろめくと、斜面を転がり落ちた。

「うし、今のうちにずらかろう」継寛はそう言うと黒尽くめが落ちていった方とは逆へと進み始める。

「ってか、何者だよ、あいつ」俺は重い足を引き摺るようにして歩く。

「なんだろうな。息の根止めて置けば良かったか」残念そうな声を出す。

「麓までどれくらいあるんだろ」天を仰ぐが星は見えない。一体何処まで行けばいいんだろう。気が遠くなってきた。

「継寛、ちょっと休もうぜ」俺は継寛のリュックサックを掴んで立ち止まった。若干思考して「…そうだな」と答えると継寛はその場に座り込む。

「もう歩けねぇ」俺はリュックサックを背負ったままで寝転んだ。

「3年分は走ったな」継寛はそう言うと力なく笑う。

「俺もだ」相槌を打って、俺も乾いた笑いを吐き出した。

 

 

 

 

意識が途絶してからどれ位の時間が経過したのだろうか。全身がミシミシと痛む。朝霧が辺りに立ち込めていて、自分の位置を見失う。

 

-俺は何処に居るんだっけ?

 

-俺は何をしているんだっけ?

 

力を振り絞って上半身を起こす。激痛が走る。

「…ってぇ」いつの間に付いたのか身体中擦り傷だらけだった。チリチリと頭の奥で何かが火花を散らす。

「あ」俺はハッとなって周囲を見る。俺の左隣にリョータが寝転んでいた。俺と同じように身体中傷だらけで、鼾をかいていた。

「おい、リョータ」俺はリョータを揺すって起こした。

「ん…、オハヨ」リョータはそう言うと薄目を開けた。

「朝っぽいんだけど、これからどうするよ?」俺は首を鳴らし、立ち上がる。

「あー、身体痛いなぁ」リョータはそう言うと携帯を手に取った。

「取り敢えず、麓まで降りようぜ?」

「そうだねぇ。未だ4時半じゃん」深い溜め息とともに携帯を閉じる。それから欠伸をすると、立ち上がった。

「身体は大丈夫なのかよ?」俺は痛々しいくらいに傷を負ったリョータに尋ねる。リョータはガッツポーズを取り「思ったよりかは大丈夫だな。このくらいだと普通に歩けるな」と笑った。俺達は昨日の襲撃によって完全に方向を見失っていた。

「平地にならないかねぇ」面倒臭そうにリョータがぼやいた。

「そのうち、なるだろ。【櫻ノ杜】までそんなに掛からなかったんだし」俺はそう言うと下を目指して歩を進めた。

 

 

どれくらい歩いたんだろうか?整地されたかのような地面が現われる。

「お…これは」口を開けたまま硬直する。

「気持ち悪いな」よくよく見れば、地蔵が壁を作っているかの如く立ち並んでいる。【櫻ノ杜】へ登った時と違うのは上り口は地蔵は一列に並んでいただけだったのが、此処に在る地蔵は密度を増し、並んでいると言う事だ。

「おい、何か書かれた石が転がってるぞ」リョータはそう言うと、地面に転がった石柱を覗き込んだ。

「何だ、それ?」俺はリョータの足元に転がっている石柱をライトで照らした。地蔵と同じ材質で出来ているであろうそれには【櫻澤邑】と刻まれていた。ごく最近掘り出されたのであろうそれは若干の土が乾いて付着していた。

「さくらさわ…?」何て読むんだろう?俺はその石柱を足で蹴り転がした。

「さくらさわむら、じゃないかな?」さすがは大学出、すらすらと『邑』を読んでみせる。そして、転がった石柱をもう一度転がし、他に何か書かれていないか調べる。

「あれ…、こんな所にタバコの吸殻が落ちてる」リョータの視線の先に茶色のフィルターが付いたタバコの吸殻が落ちていた。俺は数歩歩き、近付くとそれを爪先で転がした。まだ新しく、短くなった先端には焦げ目が付いていた。『Marlboro』と言う銘がフィルターの付近に書かれており、俺は真っ先に皆川を思い出した。

「皆川の吸っているタバコだな、それ」俺は爪先に転がったタバコの吸殻はまさしく皆川が愛飲しているタバコだった。あいつに頼まれてタバコと酒を頻繁に買いに行っているからな、間違いなかろう。

「って事は皆川は此処まで来たのかな?」黙々と石柱をひっくり返したり、覗き込んだりして、【櫻澤邑】と書かれている以外に何も無い事を確認すると、リョータは立ち上がった。

「そうかもしれない。だけど、これが皆川の棄てた吸殻だと言う確証はどこにも無いって事さ」冷静に判断して、これが皆川の吸ったタバコだと言う確証なんてどこにも無い。同じ銘柄を吸う人間は山のように居るわけだしな。しかし、こんな何も無い山の中に来る奴なんてそうそう居ないわけだし、極最近、此処でタバコを吸った人間なんて多分皆川以外居ないだろう。

「確証は無いけど、可能性は高いだろ。こんな自然の中に態々やって来て、タバコをポイ捨てする奴なんて皆川くらいしか思いつかない」リョータは手厳しい事を言う。

「じゃ、どうするよ?」俺は肩を竦めてリョータを見た。

「さて、どうしたものかね?」リョータは苦笑いをして辺りを見回した。

「それにしても、それは道標か何かか?」俺はリョータの足元に転がる石柱を指して言った。

「っぽいね。ほら、道が三つある…」そう言ってリョータは押し黙った。

「へ?」俺は思わずその言葉に反応した。

「そこと、そこと、あっち」リョータは三箇所を指差した。一本は上に向って続いており、もう一本は下に向って、最後に少しはなれた場所にある道は延々と続いているかのように見えた。取り敢えず、何処かに続いている事は間違い無さそうなので先程に比べると状況は好転したと思える。しかし、どの道を選択するかで行き先が大きく異なりそうな予感がした。

「どれが正解ルートなんだよ…」俺は頭を抱えた。

「多分、下りだろ。だって、上は【櫻ノ杜】だろうし、あっちの道は元来た場所に戻る道だ。となれば先に進むのは下りのルートだけって事になる。皆川なら多分先に進んでるはずだ」リョータはそう言い「こっちこっち」と下りの道の前に立った。今居るところよりも更に濃い霧が立ち込めていて、非常に胡散臭いと言うか、怖気のする雰囲気が漂っていた。

「仕方ねーな。下りるしかないんだろ?」俺は意を決して足を踏み出した。皆川が居るであろう【櫻澤邑】を目指して。

 

 

「実際、昨日襲ってきた連中って誰だったんだろ?」リョータは真剣な顔付きで、考え込む。

「しらねーよ」俺は素っ気無く答える。そもそも誰かわかったところで、現状対応出来る訳も無いのだ。

「やっぱり、カムイが怪しいと思うんだけどな」リョータはそう呟く。

「誰だって良いさ、取り敢えずはさ」俺はその答えの出ない会話を終了させると先を急いだ。

何処まで下っただろうか、道が平坦になり、鯉きりの向こう側に建物のシルエットが浮かぶ。

リョータ、此処で良いのか?」俺は後ろを歩くリョータに尋ねた。

「わからない。でも、なんとなく村っぽいよな」リョータは俺の隣に並ぶ。眼前には白濁色のヴェールが支配する世界が広がっている。俺達は顔を見合わせると、シルエットを目指して歩き始めた。荒涼とした草原が広がっている。一歩一歩を踏み出す度に現実感を喪失する。自分が生きているという事すら忘れかけてしまう。

「…」無言でその建物の前で立ち止まる。柱は見事に折れ、屋根が斜めにお辞儀をしている。これで人が住んでいたらそっちの方が驚きだ。

「完全に廃墟だな」リョータは崩れ落ちた瓦を踏み付けるとジっとその廃墟を見つめる。

「どうしようもないな」俺はそう言うと他のシルエットに目を向け「他も当たってみるか」とリョータを促した。

「ああ、そうしよう」そう言って俺達は別棟へ移動しようとした。

「おい、何してんだ?」何処かで聞いたような声が真後ろから聞こえる。俺もリョータもその声に反応して振り返る。

「よぉ」皆川がタバコの箱を片手に今俺達が見ていた家の裏側から現れた。

「…こ、この…」俺はローリングソバットを皆川にかました。

「っお、おい」皆川は軽く俺の右足を流すと、一気に間合いを詰めてくる。風切音とともに皆川の拳が目の前に迫った。一瞬当たるのを覚悟したが、寸止めで俺の鼻先で皆川の拳は止まっていた。

「甘いなぁ」ニヤっと皆川は笑い、拳を下ろした。

「ふん、身体は鈍っていないみたいだな」俺はそう言うと皆川の肩を軽く叩いた。

「それにしても、よくもまぁこんな遠くまで来たな。お前等」タバコを銜え、皆川は白々しく言う。

「まったくだ」俺は皆川を一睨みした。

「それはそうと、皆川だけ?」リョータが詰まらなさそうに俺達を見た。

「うんにゃ、他の連中も来てる。俺は目覚めちゃったんで散歩してただけさ」タバコに火を点けると気持ち良さそうに煙を吐いた。

「それじゃ、合流するか?」俺はリョータに目配せした。

「うん。そうだね」リョータは頷いた。

 

 

俺達は皆川を先頭にして朝霧立ち込めるうち棄てられた村を闊歩する。

現実感のない風景が延々と広がり、それでも肌を擽る空気がこれが現実である事を如実に物語っている。

「そう言えば、カムイを見たよ」リョータが皆川に話し掛けた。

「ん?誰だって?」皆川が聞き返す。

「【科隠村】について書いてたサイトがあったじゃん。そこの管理人」リョータは説明文を解り易く述べた。

「…ああ、高塚も同じ事を言ってたな」だるそうに目を細めて皆川はリョータを見る。それから「根拠は?」と酷く高飛車な態度で尋ねるのだった。

「根拠はあるさ」ニッコリと笑ってリョータは藤堂達を見かけた時に俺に話した自説を語りだした。皆川は相槌を打ちながら真剣な眼をしてリョータの話を聞いていた。リョータの話は筋道が通っていて俺には論破できそうになかったが、リョータが口を閉じると皆川は「机上の論理だな。確証ではない」と一蹴した。ただ、珍しく真面目な顔をして「根拠とまでは行かないが、仮説としては良い線だな」と付け加えた。

彼是と話をしているうちに俺達は目的地に到着し、倒壊しかかった家の縁側に3人並んで腰を下ろした。

かつてはキチンと手を入れられた庭であったろう場所は草が覆い茂り、家だって倒壊し、そのうち原形を留めなくなっていくのだろう。俺は滅びを目の当たりにして若干のノスタルジィを感じていた。

此処に済んでいた連中は何処に行ったのだろうか?潰れた屋根の下敷きになっている座敷らしき部屋を覗き込んだ。家具はほとんど残されたままで、各々が好きな形に拉げていた。

そんな中に興味深いものを見出す。それはこげ茶色に変色した新聞紙で、這って入れば届く位置に落ちていた。俺は無言で屋根と床の間に潜り込み、その新聞紙を引き摺り出した。

「おい、何やってんだ?」少し焦りの混じる皆川の声。

「気でも違ったか?」リョータも酷い事を言う。俺はそれを掴んで這い出す。

「おい、これ」俺は手に持った新聞紙を2人に見せた。

「いつの新聞だよ、それ」皆川は呆れたように風雨に曝された挙句に虫食いでボロボロになった新聞を指差した。

「ん…、皇紀2593年って書いてある」俺は記事の中に何とか時節の書かれた部分を見つけると口に出した。

皇紀2593年ねぇ。ってか、皇紀って何よ?」皆川は新聞を一瞥すると、再びタバコを取り出した。

「戦時中の年号だろ」俺はサクっと突っ込む。

「あ、そ」興味なさ気に皆川は縁側に座り込んだ。

「ちょっと見せて」リョータは俺の手から今にも原形をなくしそうな新聞を剥ぎ取ると縁側に置き、記事を食い入るように読み始めた。俺と皆川はそんなリョータの両側から新聞の内容を覗き込む。大した記事なんて書かれていないように見受けられる。

「何か良い記事はあったかよ?」皆川はリョータに尋ねる。

「特に無いね。時代がわかっただけでもいいんじゃないか?」リョータはそう言うと新聞をまた屋根と床の間に放り込んだ。

「あ」

「おい」

俺と皆川の言葉が重なる。それから顔を見合わせ嘆息する。時刻を確認する、どうやらまだ7時も回っていないらしい。

「てか、どうするよ?」皆川はかったるそうにタバコを燻らすと俺とリョータに尋ねた。

「どうするもこうするも、他の連中が起きるまで待つしかないだろ」俺は空を仰いだ。

「そうだね」リョータが相槌を打つ。

「一眠りしようぜ」皆川はそう言うと縁側で仰向けになって寝転んだ。

「そうだな」俺もそれに倣う。空が遠い。

「こんなところで良く寝れるね…」そう良いながら目を閉じるリョータ

「なんか、懐かしいな。こういうの」皆川がそう言って笑った。

「ガキの頃の話か?」少し頬が緩むのを感じる。

「…」どうやらリョータは逸早く眠りに落ちたようだ。

「軽く寝るとするか」俺は呟いた。

「ああ」皆川が短く同意した。

静かに訪れる昏倒。

 

 

 

 

「おーい、ゆたか~?」

聞き慣れた声がする。どこからだろうか?

薄っすらと視界が晴れる。眩しさとともに感じるのは懐かしさ。

何だろう、この感覚は?

俺は視界をハッキリと取り戻す。

眼前にあるのは呉葉の顔。もう、ホント眼前ってやつだ。

「おはよう、ゆたか」その背に背負う太陽よりもギンギンな笑顔を俺に向ける呉葉。俺は一瞬思考を停止し、現状を把握することに専念する。

「…」困ったものだ。言葉が思い浮かばない。呉葉は不思議そうに俺の顔を覗き込む。ああ、どうしたものか。

「ゆたか?」呆けている俺と目を合わせて、疑問符を投げる。

「ん…、ああ。おはよ」間抜けな返答をする。

「ようやく起きたのか」呆れた顔で俺を覗き込む奴が1人、その名も高塚。

「…ああ」俺は軽く頭を左右に振り、覚醒を促す。そんな事をしたところでどうにもならない事は分かりきっているんだけど、一応目覚めの通過儀礼と言う事で。ようやく上半身を起き上がらせると、周りを見渡した。俺、三国、継寛を除いた5人は既に起きていて、朝食の準備に取り掛かっていた。

「よー、早いな…」俺は目を擦りながら立ち上がり、5人に挨拶をする。

「おはよ、皆川」枝さんは鍋を掻き混ぜながら俺を見て言った。

「あー、かったりぃ。今何時だよ?」俺は誰に聞くでもなく言う。

「ええと、9時13分だね」千秋は歯ブラシを銜えたまま、泡を飛ばして俺の問いに答えた

「サンキュ」俺は右手を軽く振って、千秋に感謝の意を表明した。

「おはようございます」真夜がそう言うと、俺に紙コップに入ったお茶を手渡してくれた。俺は礼を言い、それを受け取ると、一気に飲み干した。

「三国と継寛がそこでくたばってるんだが、こいつらの食料はあるかな?」俺は枝さんに尋ねる。にっかりと笑って、親指を立てると「大丈夫だ」と枝さんは言った。

「それじゃ、叩き起こすか」まずは継寛の両肩を持ち激しく揺さ振った。

「うおっ」継寛は俺を突き飛ばし、目を覚ました。

「よー、おはよ」俺は何とかコケずに踏ん張ると、左手を挙げて覚醒したばかりの継寛に目覚めの挨拶をした。

「よう…」立ち上がり、ラジオ体操もどきをしてから5人の存在に気付く。

「よぉ」高塚が継寛に声を掛ける。いつぞや一緒に呑んだ事があったので、2人は普通に会話をしていた。人見知りの激しい俺じゃ、無理だな。

はてさて、完全に眠り呆けている三国をどうやって叩き起こすのかが問題だな。などと思っている俺の横を駆け抜け、呉葉は三国の傍に座り込むと耳に息を吹きかけた。刹那、思い切り身体をビクつかせて三国が跳ね起きる。まぁ、三国じゃなくても飛び起きるわけだが…。

「よ」俺は軽く三国に声を掛ける。苦笑いを浮かべているであろう俺の顔を見て三国は「何て起こし方をするんだ」と珍しく怒りの感情を顕にして抗議しつつ起き上がった。

全員起きたところで、各々に仕度を始める。俺は何もすることが無かったのでぶらぶらと【櫻澤邑】を歩き回ることにしたのだが。霧が晴れた【櫻澤邑】は朽ち果てていて、文字通りの廃村だった。何か見所のあるものはないかと、家々を見て回るが、これと言って目ぼしいものは無く、落胆せざるを得なかった。そして、見落としていたモノに気付く。

それは本当に巨大な桜の樹だった。胴回り10mは在るのではないだろうか。その桜の巨木は村の風景に溶け込むようにして、その廃れきった身で天高く枝葉を伸ばしているのだった。

 

 

俺は無言で、草を掻き分けて樹に近付く。

木造の鳥居が朽ちて傾いている。かつては注連縄であっただろう藁の塊が申し訳程度に鳥居に巻きついている。

 

-強烈な既視感に襲われる。

 

「こいつは…」高さの概念なんて持ち合わせていない。堂々たるその桜の樹は俺の視界いっぱいを奪い去り、禍々しいまでにその背に背負った桜の蕾を今まさに開花させようとしているように思えた。

「『そこは深い深い森の中にある』『そこはすでに忘れられた祭壇』『そこは血塗られた過去をもつ』」澄んだ声が聞こえた。振り返ると呉葉が桜の大樹を見上げて立っていた。

「呉葉?」俺は先程までの雰囲気と異質の空気を纏った呉葉に問いかける。

「辿り着いたのね。ここまで」呉葉は静かに呟いた。

「この樹が何だと言うんだ?」俺は呉葉に向き直る。

「【櫻澤邑】の神樹【呉葉】」声が透った。

「【呉葉】?それってお前と…」そこで口籠る。呉葉は神妙な顔をして、俺を見つめていた。

「あたしはね、この村の長の直系なの」ゆっくりと歩を進めてくる。

「だからなんだ?この村と運命を共にするとでも?」俺は呉葉の眼を見る。

莫迦ね、そんな時代錯誤。他の連中がその事実をどう取るかは分からないけど、あたしはあたしよ。こんな村と運命を共にするなんて」クスっと笑って俺の胸の中に飛び込む。柔らかい匂いがした。

「何を言いたいんだ?」俺は呉葉の髪を掬うと、サラサラと零れ落ちていくそれを見ながら尋ねた。

「わかんない」俺の腰に腕を回し、呉葉は顔を胸に押し付ける。

「ま、良いか」しばらく呉葉の頭を撫でながら、遠くの山を見ていた。そして、その穏やかな鼓動を感じていた。風が吹き、呉葉の髪が空に舞う。

「-何?」俺は気付いてしまった。その臭いに。

「どうしたの?ゆたか?」呉葉は俺の胸から顔を離し、俺の目を上目遣いで見た。その妙に色気を帯びた可愛らしさとったら、それはもうとんでもない破壊力を秘めている。まぁ、普通にこう言うシチュエーションであれば悦ぶところだが、今は事情が違う。臭いの正体だ。

「血の臭いがした」俺は振り返り、神樹に向き直る。

「え?」呉葉は微かに声を上げると、俺の腕にしがみついた。

鉄の臭いと生臭さが入り混じった臭い。『血の臭い』。俺は桜の巨木に向かって歩き始める。呉葉は俺から離れることを嫌い、俺の腕にしがみついたままで俺と並んで歩く。樹まであと5m位といったところか、俺は立ち止まる。

 

 

「気のせいだと良いと思ったけど。気のせいじゃないみたいだな」俺は樹に彩られた焦げ茶色のアートを見つけ、一時凝視した後、そのまま視線を根に向って下ろす。

誰のものかはわからない、右腕が空に向って妙な角度で伸びており、胴体は真横に切り裂かれていた。

腸と思しき、妙に新鮮味のある管-そうだな、明太子を長く引き伸ばしたようなそれが腹に収まっていたのは不思議なくらい異様に長くのたうっていた。

「おえっ」呉葉の体重が俺の腕から離れたと思ったら、呉葉は草むらに向って嘔吐していた。こんなものを見たら誰だって吐きたくもなるさ。写真だけであれば俺はまだ平気なほうだろうけど、臭いも伴っているからな。俺は胃から込み上げてくる何やらすっぱい液体を咽喉の手前に押し留めつつ、死体の顔を見ようと一歩踏み出した。

そんな俺のズボンを呉葉が涙目で掴む。目が離れるなと訴えている。さすがにこの状態の呉葉を伴っていたのでは、キチンと確認も出来ないし、携帯電話もデジカメもリュックサックに収めたままだ。

-何て事を頭の中で考えてから、刻みに震えながら嘔吐を繰り返す呉葉の隣にしゃがみ込んで呉葉の背中を擦ってやった。

どれくらい嘔吐をしたのだろうか、しばらくして落ち着いてきたので「戻ろう」と声を掛け、腰砕けになった呉葉に手を貸す。歩けそうに無かったので、俺は呉葉を背負い、皆の居る長の家に向った。俺達は家に着くまで終始無言だったと言う事は言うまでもないだろう。

 

 

家に着き、状況を皆に説明した。

三国と継寛は若干の戸惑いを見せながら、そして、高塚、千秋、枝さん、真夜はそれほどの動揺も無く俺の話を聞いていた。

それはそれで凄く厭なんだけど。

パニックにならなかっただけありがたいと思うべきなんだろうか?

皆のリアクションの無さに俺は戸惑いを隠せない。

「ええと、取り敢えず死体の確認をしようと思うんだけど」俺は切り出す。

「つうか、ホントにそれ人の死体なんだろうな?」高塚が突っ込みを入れる。

「見間違いは無いと思う」俺は網膜に焼き付いてしまった忌まわしい記憶を思い返し、高塚の問いに答える。

「僕はパス」枝さんはさっさと探索の任務を降りる。

「女の子はここに居たほうがいいかな」俺は呉葉、千秋、真夜を見て言う。女性人は皆無言で頷き、了承を得る。

「高塚、お前は来るだろ?」俺は高塚に話を振る。

「ああ、構わんぞ」若干の不機嫌面に腕組みをしながら高塚は答える。

「お前ら、どうする?」俺は三国と継寛を見る。

「ああ」継寛は短く言った後「俺も行く」と答える。

「俺はパスするわ」三国は右手を軽く振って行かないことを表した。と、言うわけで俺、高塚、継寛の3人で死体を見に行くことになった。

「皆川よぉ、本当に死体なんだろうな?」高塚が神樹までの道程で3回目の同じ疑問を俺に投げかける。

「だから、そうだと言ってるだろ。どのみち現物見せてやるから、それ見て納得しておけ」俺は軽くキレかかる。

「それにしても、誰の死体なんだろうな?」継寛が妙な疑問を投げかける。

「誰って?」継寛の思考を先読みできずに聞き返す。

「いや、俺達や、大学生の連中以外の死体だったとしたら。一体誰の死体をお前が見たんだろうって思っただけさ」冷静に考えれば確かにそうだ。継寛の言う通り、誰の死体なんだろうか?

まず、俺達のうちの誰かと言う事は無い。皆生きている。では、大学生連中なんだろうか?

それも考え難いだろう、継寛と三国が生きていた事を確認している。無論、現在、生死は分からないわけだが。

 

「ま、いいや。着いたぞ」俺は神樹を指差した。高塚が何事も無いかのように桜の巨木に向って草を掻き分けて進んでいく。こう言う時、この男の行動力には驚かされる。

「うおっ」驚愕の声を上げて高塚が立ち止まる。あの死体を見たのであれば普通に立ち止まるわな。俺と継寛はゆっくりと高塚の背後から様子を窺う。

「…確かに死体だな」冷静を装った継寛が高塚の肩越しにソレについての感想を述べる。

「おえっ…』臭気に中てられたか、高塚が口を押さえて、俺と継寛を押しのけ草むらに駆け込む。俺はそんな高塚を横目に、デジカメをポケットから取り出すとレンズを死体に向けた。ファインダーを通した世界は現実とはかけ離れていて、死体から臭ってくる汚臭は映像とリンクせずに済んだ。

先程と同じように、その死体は右腕を空に向って伸ばしており、腹を何か鋭利な刃物で一閃されたようで、腸の類が死体の周りをのたうっていた。

体付きから見ると、その死体は男のようで、それなりにがっしりとした体格をしていた。顔は妙な角度に曲がっており、よくよく見れば胴体と分離していて、何者かに叩き潰されたのであろう、斜めに何か細く硬いもので殴られたような痕が残っており、赤茶けた奇異な色に変色を果たしていた。

死因なんて素人の俺にはさっぱり分からないが、腹を切られても、顔を叩き潰されても、どちらにしても確実に死ねるんじゃないかと思う。

他に外傷は無いかと確認するが、大まかにこの2つしか傷は無かった。腹を切られた時に出たであろう大量の血液が死体の周りに血溜りを作って、時の経過で凝固したのであろう赤茶けたゼリー状の球体となって点在していた。

「何を使えばこんな風に切れるんだよ…」腹の中のものを出し切ったのか、高塚が若干疲れた目をして死体を見下ろした。

「刀…とか?」継寛が洒落にならない事を言う。

「刀って…。そんなものどうやって用意するんだよ。こんな山奥で」俺は継寛の発言に突っ込みを入れる。

「知るか。そもそも、こんなところで死なれてても困るわけだけど」継寛はそう言うと辺りを見回す。凶器が出てきたりしたらご都合主義だな。

「おい、皆川」高塚が俺の肩を揺さ振った。何事かと思いファインダーから目を離し、珍しく慌てた声を出している高塚を見た。高塚は俺の向こう側を指差しており、俺は何気なくその指先を見る。そして、高塚が何を言わんとしているかに気付く。

「こいつで?」俺は高塚の指の指し示しているモノに近付く。血糊の海に沈んでいたであろうそれは凶悪なまでなそのフォルムをもう黒くなりつつある血液を纏い、鎮座していた。

「刺身包丁か?」俺はそれを写真に収めつつ、呟く。継寛は俺の言葉に反応し、メガネの奥で眼光を鋭く光らせつつそれをじっと見てから「河豚引き包丁だな」と冷静に呟いた。

「なんだよ、それ?」俺は聞きなれない言葉を尋ねた。

「そのままさ、河豚を調理するときに使う包丁さ。普通の刺身包丁に比べて薄くスライスすることの出来る包丁だ」流石は料理人の卵、と言ったところか。料理すらする事を知らない俺にはさっぱりなモノまで良くご存知だ。

「コレで斬られたわけか」俺は不気味に光る刀身を睨むと、もう一度死体を見つめる。何処の誰だか知らんが、こんな辺鄙な所で死ななくてもな。と、心の中で目の前にあるヒトの形をした物体に対して哀れみにも似た何かを投げつけると、もう一度だけ顔を見る。やはり何度見ても顔面に斜めに何かで殴られた痕が残っていて、その痕が赤茶色に醜く変色している。ふと、横顔を見る。どこかで見た顔がそこには在った。

「あれ、この顔…」俺はカメラに証拠として残しつつ、「高塚見てみろ。」と転がっている肉塊を見させた。

「え…」高塚もその顔の人物に思い当たったのだろう、表情が引きつる。

「藤堂」俺は短くかつて人間だった頃の名前を口にした。

「藤堂?あのカムイとか言う奴か」継寛は俺と高塚の会話に割り込む。

「ああ、そうだ。しかし、何でこんなところで死んでいるんだ?」最もな疑問を高塚は吐き出す。

「こいつらにも、何か都合ってものがあったんじゃないのか?」俺は肩を竦めておどけて見せた。

「都合ってなぁ…」呆れた表情で高塚は俺を見る。

「そろそろ、戻るか」と継寛は俺と高塚に提案した。確かにもう見るものもないし、警察に届け出るにしても早く下山したほうが良さそうだったのでその提案に2つ返事で俺達は5人の待つ廃屋へ戻ることにした。

 

沈んだ俺達の心と真っ向から反して今日も蒼天が頭上に広がっていた。

 

 

俺達が戻ると皆神妙な面持ちで縁側に仲良く並んでいた。出来るだけ満面の笑みを浮かべて、俺は連中に声を掛ける。

「よぉ。今戻ったぞ~」白々しいにも程がある。自分で分かりきってやっている事がどれだけ他人に通じるだろうかなんて、頭の中の冷静なもう1人の俺は考えていた。

枝さんはさっと立ち上がり、俺達のところまでやってきて、小声で俺に話しかけた。

「結局、どうだったんだよ?」顔が近いぞ、枝さん。一寸引きながら俺は枝さんに答えるべく言葉を選ぶ。どう答えたらいいか脳内で何回かシミュレートしてから「取り敢えず、死体は存在している事に間違いは無い」と答えた。

「これからどうするんだよ?」俺の言葉で最後の余裕を失ったか、枝さんは矢継ぎ早に質問する。質問責めだな。まったく。

「どうするかは決めていないが、取り敢えず早急に下山したいと思ってる」正直に自分の心中を明かす。

「つか、皆川に枝さん」高塚が俺達の間に入る。

「ほえ?」

「なんだ?」

俺と枝さんは同時に高塚を見た。それにたじろぎ、一瞬言葉を失ってから「飯だけ食わせてくれ」とへなへなとその場に座り込み、間抜けな発言をした。まぁ、アレだけ吐けば腹も減るだろうな…っておい、あんな『生もの』見ても飯を食えるとは高塚のヴァイタリティ恐るべしと言ったところだな。俺なら絶対に喰えん。つうか、食っている最中に吐くな。

「と、取り敢えず食べろよ…」俺はそんな高塚に本気で呆れ、その発言に答えてやった。枝さんは開いた口が塞がらないのか、高塚を呆然と眺めつつ、俺の言葉に頷くだけだった。

「ええと、継寛。何か飯作ってやってくれ」俺は最後尾に居た継寛にそう投げかけると、枝さんとの話を再開する。

「下山するにしても、準備をしてからになるな」俺は彼方此方に散らばった荷物を一通り眺めてから言った。

 

 

「さてと、どうしたものかね」ため息混じりに俺は目を瞑った。

冷静になって現状を把握・分析しようと思ったわけだ。何と言うか、こう小説やドラマの世界の名探偵のように。

 

さて、俺は死体には触れなかったが、アレは確実に死んでいたと推測できる。

腹を切り裂かれて、腸をそこいらに散らかして、顔面を強打され、血の海を作り生きている人間が居たら是非俺に紹介して貰いたい。そいつのDNAを分析すれば全人類にとって素晴らしい何かを発見できるだろう。

 

まぁ、冗談は横に置いておいて。『死体がどうやったら出来るか』を冷静に考えてみよう。まぁ、ヒトが死んだら結果として死体は出来るわけだけど、問題はどうやって死ぬかと言う過程だ。

さっきの状況から見て、藤堂の死体は明らかに外的要因によって死に至っている。ぶっちゃけた話、誰かに殺されたとしか思えない状態だったわけだ。

 

では、誰が何の為に藤堂を殺したのだろうか?

 

人を殺す動機としてどんなものがある?

 

この『上向き傾向』な胡散臭さ満載かつ、経済状態が、どう贔屓目に見ても芳しくない世の中で、金銭的なトラブルにおいて人を殺すというのは割とメジャーな事だ。しかし、藤堂の様な一介の大学生が金銭的に何かトラブるような事が在るのだろうか?

なにやら街角に貼り付けられている携帯番号に電話して金を借りない限りはそんなトラブルに巻き込まれるようなことは無いだろう。友人知人の類から金を借りたとしても命を取り合うような事態にはなかなか陥らないような気もする。俺の稚拙な推理の結論から言うと藤堂と言う男が金銭的トラブルで殺される事は非常に考え難い、もっと他の要因だ、多分。

 

では、怨恨かもしくは何か見てはいけないものを見て口封じされたか?

 

怨恨である場合はほぼ間違いなく友人知人の類の所業だろう。藤堂だけをターゲットとして認識するには、藤堂本人を認知していなければいけないからだ。それでかつ、何らかの恨みに関するエピソードが必要になる。

しかし、どんな恨まれ方をすれば腹を切り裂かれるような事態に陥るんだろうか?

俺には到底理解できんな。殺してしまったら、それでお終いじゃないか。そして、それ以外にも腑に落ちない点がいくつかあった。例えば、口封じだと考えると、どうだろう?

俺であれば腹を切り裂いてから顔を殴打し人相を潰すという回りくどいやり方はしない。首を斬ってから焼くなり、簀巻きにしてから埋めるなり、沈めるなりするな。腹なんて切ったら返り血をどれだけ浴びるんだろうか。こんな辺鄙な地で返り血を浴びるなんて俺はごめん被りたい。

となれば、口封じで藤堂が死体と言う名の精巧な人形に変わり果てた事実は在り得ないだろう。口封じならば先程考えた通り、もっと正確かつ丁寧なアフターフォローをするからだ。殺して放置と言うのは在り得なさそうだ。しかも、ド派手に死体は解体されている。怨恨や口封じでこんな風に人を殺すものか?

 

 

快楽殺人?

 

もしくは何らかの警告か?

 

 

俺には殺した人間の感情がわかるわけもなく。『死体がそこに存在している事実はどんな理由があるのだろうか?』と言う疑問だけが思考の海を回遊する。

態々殺して神樹の前まで運んできたわけでは無さそうだ。と、言うのも血液がアレだけ飛び散っているのであれば、あそこで藤堂は死んだのだと推理するのが妥当だからだ。他の場所で殺してくそ重たい死体を担いであんな所に遺棄しようと思い立つ莫迦はいないだろう。凶器と思しき包丁も転がっていた事だし、現場となった場所で間違いないだろう。

しかし、藤堂は何故、あそこに居たんだろうか?

最後に此処に辿り着いた継寛と三国の話を聞けば大学生連中は【櫻ノ海】に居るはずなのだ。それが何故、峠を1つ越えなければ行けない【櫻澤邑】に藤堂は居たのだろうか?

 

仮説として、藤堂は何らかの『目的』を持ってここまで来たのだとしよう、その『目的』とは一体なんだろうか?

俺と同じ動機-【咎隠村】を探しにここまで来たとは到底考え難い。何らかの回避できない問題が在ったのかもしれないし、誰かに脅迫されていたのかもしれない。憶測や推測の域を出ることはないが。

藤堂の死体は隠蔽されるでもなく、凶器を隠すでもなく遺棄されていた。この状況をどう取ればいい?

 

藤堂を殺した奴には此処で殺してしまえばそれで全てわからなくなってしまうという打算があったのだろうか?

確かに、こんなところに人が死んでいたとしても俺達みたいな連中じゃないと発見しないだろう。と、いうか妙な偶然で俺達は藤堂の死体を発見したのだ。藤堂を殺した奴にとってはこれは想像できない誤算のはず。俺達が藤堂の死体を発見した事実を知れば俺達にもその牙を突き立てることだろう、しかし、逆に、このまま俺達が死体を発見したという事がそいつに知られなければ、俺達に害が及ぶことは無い。

はて、どうしたものか。死体を発見したという事実は消すことが出来ない。そして、ヒトの口には戸を建てられない。いつしかばれてしまう…なんてつまらない恐怖が残るんだろうか?

三国と継寛が襲われた事も考えると、もしかすると殺した奴は誰でも良かったのかもしれない。そして、『単独で殺しを行ったのか?』と言う疑問も残る。

 

 

そこで俺の思考は中断せざるを得なくなった。

「おい、皆川」俺は継寛に肩を揺さ振られて現実に回帰した。一瞬立ち眩むが、何とか踏み止まる。

「あ…、何だ?」俺は莫迦みたいな言葉を紡いだ。継寛は半分呆れた顔で「いや、そろそろ出発するぞ」と告げる。皆を見れば、それぞれに荷物を背負い、いつでもこの地をされると言った雰囲気を醸し出していた。

「悪い」俺は7人分の視線を一身に受けつつ、足元に置いていた自分の荷物を重々しく持ち上げると、背負う。それなりの重量感が背中から全身を伝う。妙な違和感だ。いつの間に皆準備を終えた?

そんなに思考に集中していたか?

 

俺は時計を見る。時間は10時を回ったところだ。やはり時間はそんなに経っていない。では今の違和感は何だ?

俺は考える間も無く、【櫻澤邑】の長の家跡を後にする。先頭を高塚が行き、その後ろに枝さんと真夜、千秋、呉葉が一塊になって居る。若干の距離を開けて俺と継寛、そして三国が難しい顔をして並んで歩く。

 

 

「…と言うわけだ」前後の状況をぶつ切りにして継寛が夜中に襲われた時の話を詳細に俺に話す。

「ボウガンっぽいモノなんだろうな、お前等の話を聞いていると。速射性がある矢を放つ武器ってそれ以外考えられないな」俺はそう言うと継寛と三国の顔を見た。継寛は不敵な微笑を浮かべており、三国はそれなりに真剣な顔付きで何かを考え込んでいた。俺は俺でそんなエモノを持ってる奴がうろついているほうが気になってしょうがない。飛び道具は見えないところから狙える利点があるからな。不意を突かれればやられるからな。

「ってか、三国。その傷か?」三国の頬の傷を見て、俺は思考を現実にシフトさせる。生々しく残ったその傷は確かに現実に何か要因があった事を物語っている。

「ああ、そうだ。ったく」三国は憎憎しげに傷を指でなぞると「で、俺達は何で狙われたんだろうね、名探偵さん?」肩を竦めて俺に問う。そんな問いに対する答えなんて持ち合わせていなかったから、俺は単純に首を左右に振るだけの行為で三国の問いに答えた。

 

「ま、次は無いさ」継寛が両手で拳を作り自分の前で打ち合わせた。何だ?不意打ちされてもその両手で矢を打ち落とすとでも言うのだろうか、頼もしい限りだ。

「んで、その無駄な自信は何処から来るんだよ、継寛」俺はからかい半分で継寛に尋ねる。

「日々の鍛錬とそして経験則だ」ハッキリキッパリと言い切りやがったよ、この男は。俺はなんだかやるせない気分になりつつも今後の展開について考える。流石に8人居る俺達を襲おう何て気分にはなれんだろ、たとえ相当の手練だったとしても。となれば狙うとすると俺達が分散したところを狙ってくるか。まぁ、少なくとも俺だったらそうするね。『三本の矢』じゃないけど、どんな雑魚でもまとまればそれなりだ。雑魚は雑魚のまま狩るのが一番だし、そのほうが労力が少なくて済む。ぶっちゃけ、バラけなければ良いのか。

 

 

…と結論を導き出したところで、【櫻澤邑】と【櫻ノ杜】と【櫻ノ海】の分岐点に出る。相も変わらず胡散臭い空気が澱んでいる。

「で、どうするんだよ?」高塚が沈黙を破って俺達に尋ねる。

「どうするもこうするもないさ。このまま【櫻ノ海】に進んで、帰るに決まってるだろ」俺はタバコに火を点けつつ、高塚の問いに簡潔に答える。しかし、そんな俺を納得いかないという表情で睨んでから「おいおい、あの死体の事はどうするんだよ?」とそれなりに透る声で言った。今度は俺が高塚を睨む番だった。

「死体は見なかった。そういうことにしておこう」俺は高塚に告げる。

「どう言う事だよ、皆川ぁ!」高塚が俺の襟首を掴み、俺を持ち上げる。結構腕力あるんだなぁ、とか冷静に思いながらまるで夢のように現実を享受している自分がそこに居た。

「そのままさ。俺達は死体を見なかったし、【櫻澤邑】の存在も知らない、そんな村に行った事も無い。そういう事だ」俺は頭半分ほど下にある高塚を睨み付けた。しばらく、無言の意思表示が続く。そして、そんな沈黙を破ったのは枝さんだった。

「ほれほれ、主らそろそろ止めにしろ」相変わらずの底抜けにまったりした声で、俺と高塚の戦意は喪失した。

「つーか、皆川。お主、どう収拾つけるつもりなんだ?」腕組みをして枝さんが俺に問い掛ける。

「どうもこうも無いさ。俺達があそこに居た事実は無い。そう言う事にしよう?」俺は枝さんに高塚に言った事を繰り返す。

「つまり、藤堂を殺した奴に俺達の存在を悟られないようにするって事か?」ようやく俺の言いたい事を理解してくれたらしい。

「そう言う事だ。分かったか、高塚?」俺は高塚を睨む。

「あぁ?」高塚はばつが悪そうに俺を睨むと地面に座り込んだ。

「でもさ、皆川」枝さんが話を続ける。

「なんだよ?」俺は昂った感情を押し殺せずに八つ当たり気味に返事をする。

「三国と菅沼が既に襲われているわけだし、もう俺達が【櫻澤邑】に居た事実は筒抜けなんじゃないか?」非常に的を得た枝さんの発言に俺は固まった。

「こいつ莫迦だろ」高塚がジト目で俺を見る。

「うるひゃい」そう言うのが精一杯の抵抗だった。

「して、どうするんだ?」どうするんだと聞かれても、どうしようか?皆の視線が痛いわけで。

「あのさ、さっきから言ってる【櫻ノ海】って何の事?」三国が話の腰を折る勢いで中途半端な疑問を投げかける。

「ああ、俺が【咎隠村】と勘違いしてた場所だ。ええと、カムイのサイトでも【科隠村】として紹介されたとこだよ。此処に来る途中にあっただろ?」俺は三国に簡単に説明する。

「ああ、あの大学生が居たところかな。そうか【櫻ノ海】って言うのか。じゃあ【櫻ノ海】まで引き返すのが妥当なところなんじゃない?」三国は【櫻杜】と穿たれた石柱を足蹴にして俺達の会話に口を挟んだ。

「確かにここに居ても何の進展も無いわけだしね」高塚の肩を抱き締めた千秋が三国の言葉の後を保管する。何だ、そのコンビネーションは。

「だから、戻るって言ってんじゃんよ?」俺は若干キレ気味で2人に返す。

「問題は山積みだけどな」クックックと笑いながら全然笑えない現実を突きつける継寛。をい、どこに笑いのツボが在るんだ。是非、俺に教えてくれ。手取り足取り腰取りで。

「ねぇねぇ」俺の首に腕を絡めて呉葉が懐いて来た。

「ん?」呉葉を首に巻き付けたまま俺はしゃがみ込む。急に俺がしゃがんだものだから呉葉はつんのめるように俺に全体重を預ける。胸の弾力が心地良い。

「【櫻ノ海】まで急ごう?」懇願するような眼差しを俺に向ける。

「ごちゃごちゃ話してても無駄だしな。取り敢えずは【櫻ノ海】まで進もうぜ」埒があかない状況って言うのは本当に苛立ってしょうがない。俺は呉葉を担いだまま立ち上がると、そう宣言した。

「ほいほい、大隊長殿。いきませうー」元気良く俺の肩の上で拳を突き上げて呉葉は高らかと吼えた。三国、継寛はやれやれと言った感じで【櫻ノ海】の方向に向き直る。枝さん、真夜、高塚、千秋もそれに続き、最後に俺と呉葉が歩き出す。この先の道程にうんざりとしながら。