ledcannon’s diary

美作古書店

子供ながらに思ったのは良いことや悪いことをした事によって行き先が異なると言うのは正直、大好きな両親と離れ離れになる可能性があるんじゃないかと言うこと。
自分がいくら徳を積んで天国に迎え入れられても愛する家族とバラバラにされて自分だけ良い思いができても幸せではないよね、という事。
幼稚園の年長さんの頃から小学校1年生の半ば位まで死について考える日々が続いた。
要因は叔母の結婚式参列するのに飛行機に乗った事だと今は解釈してる。
雲の中に突っ込んでいくイメージとそんな中で光が見えてくるイメージと其れらが強烈に残っている。
天国は飛行機でも行けないくらいの高みにあると誰かに教わった。死に関して考える事はいつしかなくなった。
小学校中学年の頃、当時住んでいたアパートの前にある並木の下で弱っているスズメを拾った。雨に打たれて震えていた。なんとかして生かそうとしたのだけど、図鑑で調べても分からず、次の日には亡くなった。昨日まで生きていたスズメが今日は唯のモノになってしまう。生とはこんなにも脆いものなのかと子供心に思った。スズメを並木の下に穴を掘って埋めた。
大人になってしまった今思えば奇怪な行動をしているものだ。
その翌年か、雪がたくさん降ったある日、子供が良くやる秘密基地ごっこ遊びで作った秘密基地の屋根(何処かから拾ってきたコンパネ)に登っていたところ、足を滑らせて2m位の高さからドブ川に落下して本当の意味で死にかける。
指先なんかはもう自分の意思で動かない。コンクリートの側溝は1.2mくらいあって上がれない。助けを呼んでも深々と降る雪に掻き消されて誰も来ない。あの時は本当にこのまま死ぬかもしれないと思った。
段々と指先から膝や肘が動かなくなってきて、いよいよヤバいなと思ってから、何故か生きたいと言う生存本能の様なものが沸き起こり、色々汚い場所を通り抜けて何とか地上に這い上がり、今へと命をつなげる事ができている。
中学生の頃、曾祖父が亡くなった。痴呆が入って自分の事を認識してくれなくなってからは余り会いにも行かなかったのでそこまで心に傷を負わなかったが、後々になって曽祖父に忘れられてしまった事や自分の曽祖父への思いは自分だけのものだったのだと理解して泣いた。
色々と昔話を聞かせて貰った。イカれた人生に思えた。横浜に紡績工場を建てて戦争で焼かれて借金返す為に山を売ってとかね。北海道の開拓のためにタコ部屋にいたとか言う話も聞いた。バイタリティが凄いな、と思った。
次は母方の祖母が亡くなった時に死について考えた。コレは以前に小説にもした。次に父方の祖父。コレも小説にした。
今年の春、父方の祖母、母方の伯父を相次いで亡くした。矢継ぎ早だったので考える余裕もなく今までやってきてしまっている。
今年は沢山の思い入れのある人たちがこの世を去っていった。
取り残されたようなそんな感覚がある。
41歳の自分は年末に向けて黄泉路を歩く。
42歳になるために。
もう一度死について考えてみようか、と思う体調不良で何も出来ない日のこと。