ledcannon’s diary

美作古書店

ゲームボーイ

2022年現在となってははるか昔の出来事になってしまった。下手すれば現在まで付き合いのある友人よりも長い付き合いをしてきている。

DMG-01 CPU4。

僕のゲームボーイだ。

ドクターマリオSDガンダムSD戦国伝 国盗り物語スヌーピーのいずれかと一緒に買ってもらった。

どう言う経緯で買ってもらったのかはわからない。

欲しいと強請ったから買って貰えたのか何かしらのアニバーサリーで買って貰えたのか。

あの銀色の箱を開けて発泡スチロールの箱を引っ張り出し、上蓋を開けてビニール袋に包まれた其れを手に取って時の事、何となく覚えている。

イヤフォンは早々に壊してしまって父から適当なイヤフォンを貰って使っていたっけ。

余りにも僕がゲームボーイばかりして電池の消耗が激しいので、ミニ四駆で使っていた充電式電池と充電器を父から貰ったなぁ。4本充電出来るものでリボルバーみたいな形状の。充電式アダプターを買って貰ってからは充電電池の出番も少なくなっていったけど、夜眠る前にコンセントに挿して準備をして置くのが習慣だったなぁ。

その内、寝る前にも布団の中でゲームをするようになりライトボーイも結局買って貰ったな。

当時友人から借りていたレッドアリーマーで遊んでいた記憶が残っている。スーパーマリオランドも少し遊んだっけ。あやかしの城をライトボーイの光の輪の中で遊んだ記憶もある。なんというかあの緑色をベースとした極小の箱庭。モノクロームでありながらも表情豊かな世界が沢山あったゲームボーイと言うハードが提供してくれたあの体験は自分の根源として焼き付いている。

余談だが絵を描いたり写真を撮ったりするのだが、両方とも自分はカラーの表現を上手に出来ない。

同系統の3、4色までならなんとか使えるのが多分ゲームボーイから掛けられた呪縛じゃないかと最近思うようになった。

何にしてもゲームボーイから自分が受けた影響は多大で、ファミリーコンピュータスーパーファミコン以上に自分の人格形成の骨子になっている。大袈裟かもしれないが初代ゲームボーイでリリースされたソフトも魔的な魅力があって未だ根強い人気があったりする。

僕としてはゲームボーイSaGaシリーズ聖剣伝説、アレサシリーズが自分のゲームを語る上での基準になっている。

その他にもゲームボーイでは好きなゲームがたくさんあった。

レジェンド明日への翼やSDガンダム外伝ラクロアンヒーローズとか天神怪戦やクイックス、ネメシスのシリーズ、パロディウスもよく遊んだ。ゲームボーイウォーズで対戦したり勿論テトリスぷよぷよも。

後追いでゲームギアPCエンジンGTも出てきたけど、持った時のバランスはゲームボーイの方が断然良くて、電池の持ちもゲームボーイの圧勝で。

カラーってだけで別に羨ましいとも感じず、寧ろカラーだったらテレビでやれば良いじゃんと子供心に思ったものだ。

一応ゲームギア保有期があったしGTは一昨年まで動くものを持っていた。でも結局はモノクロの無骨なゲームボーイに帰ってきてしまう。

ポケットもポケモンが流行って、直ぐに買ったけど、結局ゲームボーイに戻った。カラーも買ったけど、コレでカラーって言われても?モノクロの方が良かったんじゃない?と思ってしまったり、アドバンスやSPの頃は大学生でゲームから少し離れていて其れでもちょっとゲームするならゲームボーイで十分だった。

愛なのか執着なのか妄執なのか今では分からないが、自分にとってのゲームボーイというハードは長い時間をかけて自分自身のアイデンティティにすらなりつつある。

いつでもどこでもその気になればゲームが出来る。電池が切れても単三の乾電池はどこでだって手に入る。

充電なんてしなくてもガンマン気分で薬莢を捨てて新しい弾を込めるのだ。そして、撃ち出すのは「夢」

大人になっても未だ、緑色のモノクロームの泉に飛び込んでは見果てぬ夢を見る。

ガッとスイッチを入れてサーッとホワイトノイズが聞こえて、Nintendoのロゴが迫り上がってきて、コイーン()と例の音が鳴る。

其れからは色んな夢の入り口だ。

何度も何度も繰り返し世界を救ってきた。悪魔のような神をチェーンソーでぶった斬ったり、最終防衛システムを破壊して世界を救ったり、時空を超えて過去も未来も今さえも救ったり。

好きな人の名前を入れて、剣士として出会い。

騎士として目覚め、死闘に果てに世界の希望となった物言わぬ好きな人を守護したり。

何度体験してももう一度その物語を見たいと思える作品が此処には沢山あるのだ。

また、夢を見よう。