ledcannon’s diary

美作古書店

自分と修理

修理という行為が好きだ。

壊れたモノを直すことが好きだ。

望んで壊すことはないけれども、壊れてしまった場合は基本的に修理する。

自分で修理出来ないモノや修理コストが代替のモノを用意した方が安い場合は無論、専門家にお任せするし、代替品を用意するが。

修理は自分の父が電器屋だったかともあり、身近なモノだった。

壊れたモノが再生されていく様は、いつ見ても飽きないし、ワクワクした。

それは昔の事だが。

使い捨て文化が極まった現代においては、修理は単純な部品交換作業になってしまっている。

分解の仕方を知っていて、代替部品が在れば誰にでも出来る。

電子部品なんて、交換以外にほぼ修理手段はないし、部品を取寄せて交換したところでコストがかかる上に達成感もない。

機械の修理は技術と発想でコストを抑えられる上にちゃんとした技術があれば新品以上の動作をするように調整することも出来る。

最も初期設定が一番耐久性を出せるよう調整されているのが常だけども。

 そんな事もあって、設計者の意図を読み解きながら修理を行う事はとても落ち着くのだ。

偉大なるオリジナルの設計者は何を以ってこの製品を世に送り出したのか。

ある種のロマンを感じるのだ。