自宅から持ち出したノートパソコンは普段使いのものと違って緊急時にしか使っていなかった。少々古いOSを立ち上げて、暇つぶしにとこのブログを稼働させるのも久々過ぎてパスワード覚えているか不安だったが、何とか入れた。
数年前に更新して以来、すっかりと忘れていたブログの記事を読み返し、嘗ての自分の思考をなぞる。
実際問題、年齢を重ねるにつれてこうしてブログで長文を書く事も少なくなってきた。小説なんかを書いていた頃が懐かしい。
最後に纏まった文章を書いたのは何時の事だっただろうか。時の流れと自らの衰えを感じずにはいられない。
日常が少しずつ萎んでいって。自分を取り巻く世界が色褪せて見える。生まれてからずっと住み続けている、寂れた海辺の町も人口減少が顕著になりつつあり、絶望に近い閉塞感が漂っている。
子供の頃に駆け抜けた路地裏。角の家が解体されて更地になっていたり。何時の間にか建った見覚えのない家が記憶を侵食する。一体、自分は何を見て何を考えて此処まで来たのだろうか。果たして今此処で、こうしている自分は現実の者なのだろうか、と考えてしまう。
実際に自分がイメージしていたよりも長く生き過ぎた。其の所為で現実感が今の自分にはない。または自分が昔からイメージしていた今の年齢の自分の像が違っている為、自分自身の脳が処理出来ていない為に自己の存在を疑っているのかもしれない。
何にしても、この現実は子供の頃に描いた将来の自分の像から懸け離れているのである。あの頃に夢見た将来の自分は一体、この人生のどのタイミングで離別・決別したのだろうか。
将来の夢。警察官や消防士、正義のヒーローや会社の社長、其れこそ両親や祖父母の職業。可能性の枝葉は沢山在った。当時描いた夢は幹に成らずに枝葉と成り、積み重ねる時間の中で剪定されて今の自分に至るのだ。
何処で間違ったとか、別の選択をしていれば良かったとか。そんな陳腐なたらればを考えるにはもう時間が経ち過ぎたし、残されてもいない。当時の夢を追いたいなんて、そんな気持ちは自分の中には微塵も残っていなくて。逆に其れが寂しいとも思えるのだ。
嘗ての自分を思い出せば思い出すほど、今の自分は嘗ての自分と同一人物なのか分からなくなる。優先順位や何に価値を見出すかが変わってしまっていて愕然とする。鏡に写る老いた自分は果たして自分で在るのか、と。現実を認めたくない自分が生まれ始めていて、また不安に陥るのである。自分が自分で無くなってしまったかの錯覚。
そう。これは間違いなく錯覚なのだけども。繋がらない記憶と時折まるで泡沫の様に浮かび上がってくる記憶とがごちゃ混ぜになってこの身体の中に痣の様に残るのだ。
この物語は誰かの為の物語では無い。唯、自分が在った事を自分に証明する為の自己満足の文章である。故に誰かを幸せにしたり。或いは誰かを不幸にする意図はない。
遥か遠い過去の君よ。君は確かに大人になり、其の遠く隔てられた世界より続く現在に於いて今なお生き永らえているよ。君が残してくれた様々な思い出とともに。
1987
アパートの最上階。日当たりの良い部屋で友人たちとテレビゲームに興じている自分の写真があった。【87 2 23】のスタンプ。小学校2年生になる直前の未だ幼い自分の顔がある。
遊んでいるゲームはスーパーマリオブラザーズ。説明など不要な任天堂の看板タイトルである。いつ、其れが自分のものになったのかは覚えいていないが、何度も何度も繰り返し遊んでいた。
当時の自分は身体が弱くて、入退院を繰り返していた記憶がある。病床の中で父親がどこかで準備してきたスーパーマリオブラザーズのアレンジされたカセットテープを聞いていた記憶も蘇ってきた。
当時からオリジナルが好きで、アレンジされた其のテープは偽物という認識で、まだまだ子供だったのだな、と思う。2024年現在であれば、きっと其れは其れで、何かしらの価値が出ていると思うのだが、現物は引っ越しか何かのどさくさで失われてしまっている。
当時は、金銭的価値なんて正直どうでも良かったし、知っていたら其の後の人生でゲームの物々交換をしてゲームを揃えていくなんて事を出来なかったと思う。
当時遊んでいた友人は今では殆どの所在を知らないが、ほぼ連続した付き合いのある友人が2人居る事は幸せな事なのかもしれない。
仲の良かった友人宅への往復と当時遊んだゲームの記憶。アニメなんかも一緒に見ていたと思う。当時の遊んだゲームは何があっただろうか。
記憶を繋ぐ為に箇条書きにしてみようと思う。
キョンシーズ2
妹がキョンシーにはまっていた時に買ったゲーム。正直何をしていいのかさっぱりわからないので買うだけ買って長らく封印されていた。
父親が何処からか借りてきた。ほかの友人たちも持っていた。同時、自分の周りではメジャーなゲームだった。何度かクリアした記憶がある。上から物が降ってくるステージが苦手だった。
聖闘士星矢 黄金伝説
東舘町の同級生が多く持っていた記憶がある。聖闘士星矢は正直そんなにハマらなかったので、みんなが何でこのゲームを買っていたのか良く分からなかった。内容も特段面白くなくてこの頃からバンダイのゲームはクソだと思っていた。
当時の親友のMが持っていた。ルールが分からず試行錯誤して遊んでいた。アニメの曲が延々と流れていて、個人的にとても好きだった。
ドラゴンクエストⅡ 悪霊の神々
父との思い出のゲーム。一緒に攻略を進めてクリアした記憶がある。
ノムラと言う友達が持っていた。2,3回遊びに行ったときにプレイしたがそれだけで、2024年現在に至るまでプレイしていない。
発売当時に遊んでいないが、Ⅳが発売の頃に現在に至る友人の藤宮(仮称)がクリア出来なくて面白くもないという事で譲り受けた。曲が単調で特筆する所が無いという印象だった。
Mが持っていた。何度か遊んだけども面白さが分からなかった。
ポケットザウルス 十王剣の謎
女子のヤマモトかマエダが持っていた。また現在に至る友人である三国(仮称)も持っていた。クリア出来なかった。
アイヤマが持っていた。当時の自分には面白いと感じなかったゲーム。
マイクタイソン・パンチアウト!!
アイヤマが持っていた。ルールがよく分からず、当時の自分には面白いと思えなかったが、2020年に入手して遊んでみたら面白くて手放せなくなった。
魔界島 七つの島大冒険
アイヤマが持っていた記憶がある。いつか入手したいが、縁がない。
イシサカから伝播してきた記憶がある。当時何度もクリアしたな。何故か曇天の公園の記憶がある。其処で【だだじじ】がどうとか話していた記憶がある。
Mが持っていたゲーム。もう一度プレイしたいと切に願うが、中々縁がなく2018年以降、探し続けているけども2024年現在、入手出来ていない。
父親が何処からか借りてきて遊んだ記憶がある。攻略本も有ったので買ったのかもしれない。個人的には全く好きではない。
Mがロックマン2を入手した時に対抗して買った記憶がある。個人的に好きなタイトル。高騰している現在、買い戻してまでやるかと問われると疑問符が。
参考までに放送開始したアニメもタイトルだけ書きだしておく。
仮面の忍者 赤影
のらくろクン
其々に思い出と思い入れがあって。其れ等の記憶を再生すると、当時の情景も蘇ってくる。年々、其の情景も詳細まで思い出せなくなり、寂しくなりつつある。
当時、ファミコンショップや玩具店が今では鄙びた町にも当たり前の様に点在していて、ゲームだとかプラモデルだとかを色々な場所で入手出来た。
なかがわという小さなショッピングセンター。その一角には玩具やプラモデルが並んでいてレジのショウウィンドウにはテレビゲームや高価な玩具が並べられていた。新しいゲームが並ぶ度にショウウィンドウに張り付いて眺めていたものだ。
このショッピングセンターは成人するまでは時折出掛けて行っては目ぼしいものが売っていないかチェックしていた。
20円の楕円形のカプセルのガチャがあったり、コスモスの少しだけ高級感のある自販機があったり。カードダスが20円で一枚の頃もあったな、と。小学校に入る前の時期にはゲームコーナーもあったなぁ、と。
免許を取って車を持ってからは自転車や徒歩で行けるこのショッピングセンターに行かなくなって。何かの気紛れで社会人になってから一度だけ立ち寄った時には玩具のコーナーはなくなっていて、婦人服売り場と小さなたこ焼き屋と薬局だけになっていた。
コロナ禍に入った直後まではたこ焼き屋がやっていて、子供の頃からお小遣いを握りしめて買いに行ったたい焼きの亜種のパンダ焼きを買いに行ったものである。当時は50円だか60円だったが、令和の時代に買ったときは160円くらいになっていた。
今は薬局だけがひっそりと営業しているが、多分数年のうちに建物ごと無くなるのだろうな、と。
他には同級生の父親が副業でやっていた模型店もよく行った。銭湯の二階にあったその模型店は自分の父親から其の存在を教えてもらい、ZOIDSにミニ四駆にSDガンダムBB戦士と沢山の模型を買ったり買ってもらったりした。
ZOIDSは割と高級なプラモデルで、そんなに数を揃えられなかったが、父親もモノを作るのが好きだった所為か、他の友人に比べたら少し多くの個体を持っていた。好きだったZOIDSはゴジュラスマーク2とマッドサンダーだったけ。
ミニ四駆も父親が色々作っていたので必然的に自分も遊んだ。限定か何かでクリアパーツのミニ四駆はフロントのバンパー部分が簡単に折れて壊れたっけ。父親はミニ四駆からラジコンに移行していったのでそんなに長い間ミニ四鵜で遊んだ記憶はないが、友人達と公園で遊んだ記憶が少しだけある。
ラジコンも父親の影響で一台だけ組んだ。マンタレイだったか。銀色の個体。父親はグラスホッパーだった記憶がある。こうして当時のホビーを思い出すとかなり父親に影響を受けて遊んでいたのだな、と。
ただし、BB戦士を含むガンダム系だけは自分だけが作って集めていた。結局130番くらいまで集めて、テレビゲームの方へ移行していくのだけども、かなりハマって集めていたな、と思い出す。
集めるといえば、先にも書いたけれどもカードダスもかなり集めた。ドラゴンボールやSDガンダム、ナイトガンダムのカードダスとかなり楽しく集めていた記憶がある。
集める系のモノで避けては通れないのがビックリマンである。ビックリマンは割と長い間集めていた。スーパーゼウスの頃から始まって18弾くらいまでは集めていた。どうやら1989年1月ごろまではビックリマンを集めていたようである。
気になったのでカードダスは何時から発売されたのか調べてみたら1988年との事で、カードダスにお金を使いたいからビックリマンを買うのを辞めたようである。
BB戦士、ミニ四駆も1988年がブームだったようでこの時代の子供たちは何にお金を使うかを常に選択させられていたようである。
もちろん、実体のある遊び以外にもテレビゲームが流行っていたし、文字通り寝る間も惜しんで遊び続けていた記憶がある。そして三つ子の魂百までとはよく言ったもので自分が寝る間も惜しんで遊ぶのはこの頃の原体験が間違いなく多大な影響を持っていると思われる。