ledcannon’s diary

美作古書店

凛と引き締まる様な早朝の空気。

布団から這い出すのも億劫であるが、意を決してストーブの前までのそのそと移動する。

灯油の燃える匂い。

遥か昔もこうして早起きをして世界が未だ寝静まって居る間にゲームをしたものだ。

此の季節のゲームはなんだろう。

ロマンシングサガとかファイナルファンタジー6とか第4次スーパーロボット大戦あたりが記憶に残って居る。

夜更かしはダメだと言われて、どれだけ朝早くに目覚めるかを頑張って居たっけ。

朝の1時に目を覚まして其処から学校に行くまでの時間ゲームに費やしたりとか色々バカをやったものである。

思えば、そんな昔からゲーム三昧な人生を送ってきたのだな、と。

1987年にファミコンで遊んで居る自分の写真をみて、あれから35年後の今も変わらずファミコンでゲームはするわ、ゲームボーイでゲームはするわ、スーパーファミコンも現役だし、なんならあの頃知らなかった当時のライバル機まで揃えてゲーム三昧して居るぜ。

最近は老眼でゲーム画面を見るのが辛かったりもするけれども、其れでものんびりやらせてもらってる。

明晰夢

青空。

入道雲が遠くの空に湧き上がっている。

また、待ちに待った此の季節がやってきたか。そう思うと心が躍った。此の町で一番見晴らしの良い場所でしばらく空でも眺めようか。

向かおうとしていた方向に背を向けて、道の突き当たりの向こう側。堤防の天辺を目指して歩き出す。照りつける日差しは暑く、ジリジリとその熱を押し付けてくる。

酷く喉が渇いている。確か、突き当たりの角に自動販売機が在った筈だ。コカコーラじゃなくて、サントリーだったか。青い自動販売機だった筈。朧げな記憶を頼りに、渇いた喉を潤す為に歩みを早める。

嘗て在った街並みは何時の間にか変容していて。そのゆっくりとした変化は、一体何時から其れが今の状態になったのかすら思い出せなくさせていた。

自動販売機は自分の記憶の通りに通りに面して設置されていた。水を買うと、堤防を目指して駐車場を通り抜ける。木材の匂いと、其れを加工する音。嘗て此の場を支配していた其れ等を探そうと耳を傾けるも、そんなものは当の昔に無くなった事を吹き抜ける風の音を聞きながら思い出す。

一体、何時の間にこんな風になってしまったのだったか。思い出と重ならない情景を目の当たりにして、一種夢の中にいる様な錯覚に囚われる。

堤防を上る為の階段だけが嘗てと同じ様に空へ続く様に伸びていた。急な階段を手摺りにつかまりながら上っていく。視界が切り取られて青空だけが階段の先にある様に見える。

少し高鳴る気持ちを抱きながら階段を上り切った。二米ほどの平地が在り、その先にもう一段高くなった堤防が在り。向こう側に海が広がっている。

十数年前までは本当に良くきた場所だ。其れこそ小さな子供の頃から知っている。そう言う場所なのだ、此処は。現実に目を向けると、先客が堤防に座って海を眺めていた。涼しげにはためく服とすっきりとした雰囲気に見惚れてしまった。既視感。確かにこうして此の場面を自分は体験した事がある。あの後ろ姿には見覚えが在る。

「やあ」と、何時の間にかこちらを振り返った彼は僕に会釈をした。

彼が一体誰だったか思い出そうとしても、いつどこかで出会った記憶が薄らと残っているだけで、どこの誰だか一向に思い出せない。だから「ご無沙汰しています。お元気ですか」と当たり障りのない返しをするのだ。

「ご無沙汰ですね。元気ですよ。あなたもお元気そうで何よりです」彼はそう言うと朗らかに笑う。冷たい印象がしていたのだが、笑うと其の屈託のない表情はとても魅力的で、印象に残るものだと思った。

「年齢の所為か日々、衰えていくのを実感していますよ。若い頃はこんなじゃなかった」目の前の彼が誰だか未だ思い出せずに、肩を竦めてそう言った。

「あなたらしくもない。珍しいですね、そんな弱気な事をおっしゃるなんて」自分よりも若く見える彼は目紛しく表情を変えて言う。本当に誰だったろうか。名前も思い出せない人間に自分らしくもないと言われて、其れでも腹立たしく感じない。かつて、深く絆のある付き合いを彼と自分はしていたのだったか。

嗚呼、暑い。

先ほど買った水のペットボトルの封を開けると、口に運ぶ。体の中心を水が流れ落ちていく。体感として真っ直ぐ。肺と肺の間を通って、身体の中心に水が落ちる。そして、その認識は急激に薄れて。

此れが夢だとは気付いていた。彼が誰だったのかを思い出せなかったので、夢の引き伸ばしを行った。それでも彼が誰で在ったか思い出せない。

「……さん。…………さん」自分を呼ぶ声に、意識が向くと世界は忽ち揺らいで消えた。暗闇と、白い壁、白い床。闇と其れ等白色が作り出すモノクロームの世界。

「検温と血圧を測らせて下さい」朦朧としている意識。身体の内側に在る痛みが一気に覚醒を促す。そうか。手術の後か。身体を捩ると背中と胸に電気の様に痛みが走った。

あの世界にもう少し居たかった。もう少しいられたら、彼が誰だかわかったかもしれないのに。後悔が心に刺さった。其れも束の間。また、意識を手放した。

 

ゲームボーイ

2022年現在となってははるか昔の出来事になってしまった。下手すれば現在まで付き合いのある友人よりも長い付き合いをしてきている。

DMG-01 CPU4。

僕のゲームボーイだ。

ドクターマリオSDガンダムSD戦国伝 国盗り物語スヌーピーのいずれかと一緒に買ってもらった。

どう言う経緯で買ってもらったのかはわからない。

欲しいと強請ったから買って貰えたのか何かしらのアニバーサリーで買って貰えたのか。

あの銀色の箱を開けて発泡スチロールの箱を引っ張り出し、上蓋を開けてビニール袋に包まれた其れを手に取って時の事、何となく覚えている。

イヤフォンは早々に壊してしまって父から適当なイヤフォンを貰って使っていたっけ。

余りにも僕がゲームボーイばかりして電池の消耗が激しいので、ミニ四駆で使っていた充電式電池と充電器を父から貰ったなぁ。4本充電出来るものでリボルバーみたいな形状の。充電式アダプターを買って貰ってからは充電電池の出番も少なくなっていったけど、夜眠る前にコンセントに挿して準備をして置くのが習慣だったなぁ。

その内、寝る前にも布団の中でゲームをするようになりライトボーイも結局買って貰ったな。

当時友人から借りていたレッドアリーマーで遊んでいた記憶が残っている。スーパーマリオランドも少し遊んだっけ。あやかしの城をライトボーイの光の輪の中で遊んだ記憶もある。なんというかあの緑色をベースとした極小の箱庭。モノクロームでありながらも表情豊かな世界が沢山あったゲームボーイと言うハードが提供してくれたあの体験は自分の根源として焼き付いている。

余談だが絵を描いたり写真を撮ったりするのだが、両方とも自分はカラーの表現を上手に出来ない。

同系統の3、4色までならなんとか使えるのが多分ゲームボーイから掛けられた呪縛じゃないかと最近思うようになった。

何にしてもゲームボーイから自分が受けた影響は多大で、ファミリーコンピュータスーパーファミコン以上に自分の人格形成の骨子になっている。大袈裟かもしれないが初代ゲームボーイでリリースされたソフトも魔的な魅力があって未だ根強い人気があったりする。

僕としてはゲームボーイSaGaシリーズ聖剣伝説、アレサシリーズが自分のゲームを語る上での基準になっている。

その他にもゲームボーイでは好きなゲームがたくさんあった。

レジェンド明日への翼やSDガンダム外伝ラクロアンヒーローズとか天神怪戦やクイックス、ネメシスのシリーズ、パロディウスもよく遊んだ。ゲームボーイウォーズで対戦したり勿論テトリスぷよぷよも。

後追いでゲームギアPCエンジンGTも出てきたけど、持った時のバランスはゲームボーイの方が断然良くて、電池の持ちもゲームボーイの圧勝で。

カラーってだけで別に羨ましいとも感じず、寧ろカラーだったらテレビでやれば良いじゃんと子供心に思ったものだ。

一応ゲームギア保有期があったしGTは一昨年まで動くものを持っていた。でも結局はモノクロの無骨なゲームボーイに帰ってきてしまう。

ポケットもポケモンが流行って、直ぐに買ったけど、結局ゲームボーイに戻った。カラーも買ったけど、コレでカラーって言われても?モノクロの方が良かったんじゃない?と思ってしまったり、アドバンスやSPの頃は大学生でゲームから少し離れていて其れでもちょっとゲームするならゲームボーイで十分だった。

愛なのか執着なのか妄執なのか今では分からないが、自分にとってのゲームボーイというハードは長い時間をかけて自分自身のアイデンティティにすらなりつつある。

いつでもどこでもその気になればゲームが出来る。電池が切れても単三の乾電池はどこでだって手に入る。

充電なんてしなくてもガンマン気分で薬莢を捨てて新しい弾を込めるのだ。そして、撃ち出すのは「夢」

大人になっても未だ、緑色のモノクロームの泉に飛び込んでは見果てぬ夢を見る。

ガッとスイッチを入れてサーッとホワイトノイズが聞こえて、Nintendoのロゴが迫り上がってきて、コイーン()と例の音が鳴る。

其れからは色んな夢の入り口だ。

何度も何度も繰り返し世界を救ってきた。悪魔のような神をチェーンソーでぶった斬ったり、最終防衛システムを破壊して世界を救ったり、時空を超えて過去も未来も今さえも救ったり。

好きな人の名前を入れて、剣士として出会い。

騎士として目覚め、死闘に果てに世界の希望となった物言わぬ好きな人を守護したり。

何度体験してももう一度その物語を見たいと思える作品が此処には沢山あるのだ。

また、夢を見よう。

子供ながらに思ったのは良いことや悪いことをした事によって行き先が異なると言うのは正直、大好きな両親と離れ離れになる可能性があるんじゃないかと言うこと。
自分がいくら徳を積んで天国に迎え入れられても愛する家族とバラバラにされて自分だけ良い思いができても幸せではないよね、という事。
幼稚園の年長さんの頃から小学校1年生の半ば位まで死について考える日々が続いた。
要因は叔母の結婚式参列するのに飛行機に乗った事だと今は解釈してる。
雲の中に突っ込んでいくイメージとそんな中で光が見えてくるイメージと其れらが強烈に残っている。
天国は飛行機でも行けないくらいの高みにあると誰かに教わった。死に関して考える事はいつしかなくなった。
小学校中学年の頃、当時住んでいたアパートの前にある並木の下で弱っているスズメを拾った。雨に打たれて震えていた。なんとかして生かそうとしたのだけど、図鑑で調べても分からず、次の日には亡くなった。昨日まで生きていたスズメが今日は唯のモノになってしまう。生とはこんなにも脆いものなのかと子供心に思った。スズメを並木の下に穴を掘って埋めた。
大人になってしまった今思えば奇怪な行動をしているものだ。
その翌年か、雪がたくさん降ったある日、子供が良くやる秘密基地ごっこ遊びで作った秘密基地の屋根(何処かから拾ってきたコンパネ)に登っていたところ、足を滑らせて2m位の高さからドブ川に落下して本当の意味で死にかける。
指先なんかはもう自分の意思で動かない。コンクリートの側溝は1.2mくらいあって上がれない。助けを呼んでも深々と降る雪に掻き消されて誰も来ない。あの時は本当にこのまま死ぬかもしれないと思った。
段々と指先から膝や肘が動かなくなってきて、いよいよヤバいなと思ってから、何故か生きたいと言う生存本能の様なものが沸き起こり、色々汚い場所を通り抜けて何とか地上に這い上がり、今へと命をつなげる事ができている。
中学生の頃、曾祖父が亡くなった。痴呆が入って自分の事を認識してくれなくなってからは余り会いにも行かなかったのでそこまで心に傷を負わなかったが、後々になって曽祖父に忘れられてしまった事や自分の曽祖父への思いは自分だけのものだったのだと理解して泣いた。
色々と昔話を聞かせて貰った。イカれた人生に思えた。横浜に紡績工場を建てて戦争で焼かれて借金返す為に山を売ってとかね。北海道の開拓のためにタコ部屋にいたとか言う話も聞いた。バイタリティが凄いな、と思った。
次は母方の祖母が亡くなった時に死について考えた。コレは以前に小説にもした。次に父方の祖父。コレも小説にした。
今年の春、父方の祖母、母方の伯父を相次いで亡くした。矢継ぎ早だったので考える余裕もなく今までやってきてしまっている。
今年は沢山の思い入れのある人たちがこの世を去っていった。
取り残されたようなそんな感覚がある。
41歳の自分は年末に向けて黄泉路を歩く。
42歳になるために。
もう一度死について考えてみようか、と思う体調不良で何も出来ない日のこと。

ゲームボーイのこと

保有しているゲームボーイが1990年製だと言う事実を突き止めるましたので、先に訂正をしておきます。

1990年製のCPU4が僕が小学生の頃からずっと持ち続けているゲームボーイです。

 

 

 

ゲームボーイグランドセイコースプリングドライブではないのか!そもそも発売された時点で完成されていたのではないか!?』

 


……と言う妄想で今朝目を覚ました。

 


僕は1989年製のゲームボーイをずっと持ち続けている。最初期に近いもので日本製かつ特殊ネジを使用していないモノだ。

先日Twitterで自分のゲームボーイとSaGa2秘宝伝説の写真をアップしたところ同世代と思しき方々からのいいねとコメントを頂き、何というかこんなにもゲームボーイと言う単一のプロダクトでつながりが出てくるんだな、ととても嬉しく幸せな気持ちを得られた。

ゲームボーイは歴史が古く、其れこそゲームボーイ用のソフトは2003年2月発売のゲームボーイアドバンスSPまで遊べた。14年間もハードが存在しなくなると言う恐怖に怯える事なくゲームを楽しめたのだ。

名称も2005年9月発売のゲームボーイを冠する最終機のゲームボーイミクロまで含めると16年の歴史となる。

それこそこじつけになるが、2006年3月発売のDS Liteまでは2008年11月にDSiにバトンタッチするまではゲームボーイアドバンスのソフトが遊べた。足掛け19年もの間ゲームボーイという言葉は普通に使われていた。

TVゲームの総称として使われる偉大なる『ファミコン』には敵わないけども。

 


昨日、夜中にふと。

一昨日色々と確認をしようとして引っ張り出したバックアップ用のゲームボーイの液晶レンズが外れてしまったため、液晶のライン抜け修理と同時に直してしまおうと思い立った。ハンダゴテで修復するのが主流だけども自分はドライヤーで治す。熱する場所はハンダと変わらないのでやる事は基本的に変わらない。液晶の下部を押し付けながら熱する、それだけである。

毎度の事なのでしばらく熱して冷まして確認して圧着させて機動実験して修理完了。

このアナログな作業はどこか機械の修理を彷彿とさせる。完全なる機械を修理して調整して使うのが好きだ。古い時計とか自分では直せないがずっと使い続けていけると言う安心感があるした部品が目に見えてあるので最悪の最悪部品を作れば生き返る。

それに似た感覚がゲームボーイにはある。集積回路に関してはハードルが高いが、構造がまだまだ単純なのでアナログな修理が出来たりするので後継のゲームボーイシリーズの様にダメな部品は即交換と言う味気のない道具で無いところが愛着が持てるのだと思う。

そんな初代ゲームボーイは完全機械とデジタルの間にある様な風に思えるのよ。

ウルトラシリーズの発明者である横井軍平氏が関わったゲーム機だからと言うところもあってデジタルなゲーム機なのだけどアナログチックなそんな暖かみのある機体。

アナログとデジタルの中間に位置するそんな感じのイメージが夢の中で再生されて思わず目覚めの際に言った言葉が冒頭の『ゲームボーイグランドセイコースプリングドライブではないのか!そもそも発売された時点で完成されていたのではないか!?』である。

そんなこんなでいつまでも使い続けられそうな初代ゲームボーイをコレからも使い続けていこうと思うのであった。

ドラゴンクエスト3の記憶

社会現象になったゲームだったな、とこの記憶を辿ろうとすると思い出す。

ただ、父が何処かで予約をしていたお陰で比較的早いうちにプレイ出来たと思う。

1、2と続いた荘厳なタイトル画面はなくただただ真っ黒な画面に白地でメニューが出てくる仕様だった。

このゲームはクリアまでとても時間が掛かった記憶が残っている。

プレイヤーが真に戦うべき相手はバラモスなんかじゃなくて、セーブデータだった。

パスワードは良かったんだが例えその一回をミスっても前回のパスワードが生きていれば復活できるのだから。

バッテリーバックアップは、完全なる消失だからな。

何度パスワード制の方が良かったと思った事か。

結局、クリアしたのは半年くらいたった後だったと記憶してる。

ゲームの内容に対しての記憶は少なく、とにかく呪いの音だけがとことん嫌いになった。

ファイナルファンタジー外伝 聖剣伝説の記憶

とても綺麗な箱だ。

手に取った時そう思った。

白い箱に幻想的な剣とも杖とも取れる絵が描かれている。ファイナルファンタジー外伝 聖剣伝説と書かれている。

何かわからないけどそのパッケージデザインにドキドキした。

ゲームボーイにセットして流れ始めたメインテーマはSaGaシリーズとは違う何処か優しくずっと聴いていたいと思うメロディだった。

ゲームを始めてみるとアクションRPG

レベルが低くてもプレイヤースキルが有れば進めていけるある意味時間を掛けずにクリア出来るゲームだった。

ストーリーの始まりはラピュタだとかナディアだとかと重なる感じで小学生の自分はとてものめり込んだ。

ゲームでボーイミーツガールが出来るんだと展開に期待しワクワクしながらゲームを進めていく。

そのストーリーは中盤からとても重厚で、ヒロインに好きな人の名前をつけた事を後悔する事になった。

加えて人の想いを守る事とは、と考えさせられた。

いつしかレベリングにハマり聖剣伝説はSaGa2と僕の時間の奪い合いをした。

今でもレベル99でステータスも全て99のジェマの騎士はいつでも手が届く棚の上に居る