ledcannon’s diary

美作古書店

自己保存本能

何かを成して死ぬという事。

其れが出来る人間は、此の世界に何れだけの数が居るのだろうか。40歳となり、41歳になる此の狭間の一年間、死生観について色々と考えた。長くても、今まで歩んできた人生と同等の時間を過ごした後に自分は此の世界から去ることとなる。其れは変えようの無い事実で、生きとし生ける全ての存在に対して訪れる最終的な変化だ。

自分の人生の此れ迄を振り返って思うのは自分はとても幸せな人生を歩んてきているという事だ。多分、他の多くの人よりも現時点では失ったものが少ない。此れから失っていく事となるのだろうけれども、其れでも死を意識して生きる為に丁度良いタイミングでの振り返りと成りそうである。

失ったものは少ないが、得たものもそう多くはない。一般的に得る事の出来るものしか自分は得ていない。言わば、金で買えるもの。最も家族や血縁は金では買えないが、自分だけが特殊な家系で在るだとか特殊な家族を持っているわけでも無いので。

そんな諸々を考えて、過ごす日々。死を意識の外へ追い遣りたいが、何かの節に思い出し後どれくらい生きられるのか、残りの人生を後悔せず生きるにはどうすべきか。などなど、解決できない不安が沸き起こってきて、其れ意識の外へ何とか追い遣りつつ、その背中を眺めながら毎日を過ごしているのだ。

今こうして文章を書けるような環境を整えられたのは不幸中の幸いと、妻への多大な負担が在っての事で、其れでも今自分はこうして文章を纏めておかないと二度と自分に還る事が出来なくなるのでは無いかという漠然とした不安を抱えてキーボードを叩いている。

為すべき事を為したい。

自分の為すべき事は一体なんだろうか。今から十数年前に書き始めた小説は終わらせて死にたいと思う事と、もう一つ作品を作ってから死にたいというところがある。

作品と言ってしまえば乱暴だ。そうだな、長編の文章を纏めてから死にたいとしておこう。

色々とお手軽な作品作りに逃げ込んでいたので、作品に対するハードルが下がっていたのだが、もう少しハードルを上げて、生きる糧にもう一度出来るレベルのものに昇華したいところだ。

今年は様々な作品に触れる事が出来た。今までスルーしていた部分に注目して、触れてこなかったところを取り戻す行為をしている。お金も沢山使った。そもそも、使い時に使わなかったお金は浪費に回るのだから。必要と感じた時に必要なモノに対しての投資をした。

以前、自分が創作を出来ていた頃の環境を取り戻すという事。あとは今後、自分が家族に対してしたい事に対しての投資を行った。

今まで此処まで考えてやってはこなかったが、何故か今年はしなければいけない気がしたのだ。其れと同時に、なぜ、そう自分が考えるのかを考えた。自分の死期が近いのか。とか。不吉な事を考えた。そして、出てきた答えは万物はいつ消滅するか分からないのだから、出来る時にやっておく事が吉だという単純なものだった。

貯金などしているのだが、その貯金は何のためのものか。自分の欲しいモノを買えるまで今のペースだとどれくらいの時間がかかるのか。そんな事も見つめ直した。最早、自分は夢中にいる事はできなく成った。現実において実現可能な夢を成す為に生きなければいけない事を直視させられた。

相変わらずの自分語りで、物語には遠く及ばない文字列の羅列だが。其れでもこうして書き留める事の出来るという此の事実が今後の自分の糧になる。今後の自分の行動を変えていける。故に自分は文字を紡ぐ。指を動かし、頭を動かし、音楽を聴き、作品を読み、作品を鑑賞する。

そうした消費行為によって貯めた知識を自分で消化して放り出す行為が創作なのだと今は思っている。